人は一生、自分の顔を見ることができない。鏡の中の顔は左右逆であり、真の顔とはいえない。写真やビデオは映像にすぎず、本当の顔とはいい難い。自分の顔が他人の目にどう映っているか、人には生涯わからないのである。

吸血鬼となると、話は極端だ。奴らは鏡にすら映らない。ドラキュラという怪物が実在したら、灰となるまで、己の顔の手掛かりさえつかめなかったに違いない。当時はビデオはおろか写真すら——奴らの姿をレンズを通して定着させることができたとしても——満足に撮れなかった。自分の姿を後世に残す常套手段は絵であったが、もしドラキュラが肖像画を描かせたら、画家に怪物の真の姿を捉えることができただろうか。

おそらく、できなかったであろう。絵描きは吸血鬼の魔力に幻惑され、怪物が見せたがっている顔、ないし自分が見たがっている顔を描いてしまったに違いない。絵の中のドラキュラがベラ・ルゴシやクリストファー・リーのような濃い二枚目の顔をしていても、鵜吞みにするわけにはいかないのだ。誰も吸血鬼の真の顔を知らず、吸血鬼自身でさえその例外ではないからである。

絵描きである私がそんなことをつらつらと考えたのは、カルチャースクールの同僚、岡本正雄から妙な話を聞いたからである。岡本は夜間部の小説創作講座を担当しており、いつも蒼ざめた顔で、昼間寝て今起きたばかりとでもいうように、足取りも怪しく出勤してくる。年の頃は五十前後で、瘦せこけており、不親切なので生徒からは人気がない。しかし話してみると、言葉の端々から学養を積んだ人物であることがわかる。

さて、その彼によると、

「夜間部の講師をしていると、時々不気味な生徒を受け持つことがある」

とのことだった。

聴講生の当り外れがあるのは夜間部に限ったことではないが、その生徒は確かに異様だった。二年前、冬の一時期だけ通っていた生徒で、名は毛利という。いつも講習が終わる頃——陽が完全に沈み月が昇る頃——足音もなく教室に入ってきて、ひっそりと隅に座る。男には違いないようだが確証はない。ぶかぶかのジャンパーが体型を隠し、白いマスクに顔半分が覆われ、夜だというのに大きなサングラスを掛けており、めったに声を出さないからである。長髪が六十年代の連続爆弾魔のような雰囲気を醸し、岡本以外には近づく者すらなかったが、話を聞く態度は真面目であり、宿題も忘れたことがなかった。宿題というと小中学校のようだが、小説の創作講座を受け持つと「家で書いてきて下さい」というケースが案外多い。このいいつけを守らない者が割りに多いのも世の常だが、毛利はどんな課題であれ、しっかりと書き上げてきた。例外となったのは、年末出された宿題のみである。

それは『あなたが最も印象に残った体験』というものだった。岡本としては、生徒に体験談を書かせ、次に小説化させてみようという算段である。毛利はいつもながらにこの宿題を書き上げてきた。しかし、いつもながらに《しっかりと》書き上げてきたといえないのは、実体験とは思われぬ奇天烈な内容だったからである。原稿用紙の一行目には『奴らが来る』というモダンホラーのようなタイトルが金釘流の文字で記され、本文はこんなふうに始まっていた。雪は降り続け、夜が更ける頃には地面に厚く積もっていた。例年にない大雪で、あたりの屋根も真つ白になっている。重く湿つた感じの雪質だったが、風が強く、降りしきる雪を巨人の手のごとく攪拌し、時には周囲を真つ白な壁へと変えた。風はまた積もる雪をも吹き上げ、霧状の細かい白粉へと変えている。年の暮れだがこれほどの大雪はめったにない、と門番は思った。

しかし彼には、雪よりも気がかりなことがあった。今夜、館の正面門は二人で見張っているのだが、相方の様子がどうにもおかしい。身を切るほど寒いのに、相方は体一つ震わせることもなく、心ここにあらずといった様子でうつむき、佇んでいる。もともと痩せた男だったか、今夜は特にやつれて見え、灰色の顔は経帷子を着るにふさわしい色合いで、力がまったく抜け、両手をだらりと下げているさまは、糸の切れた操り人形と見紛うばかりであった。

その彼の頭が、糸で引き上げられたかのようにかっくりと上がった。緊張して固まった皺だらけの首に、丸い傷跡が二つ見える。太い釘を刺されたような、縁のめくれあがった醜い傷だ。大鷲ほどもある巨大な蚊に刺されたら、こんな具合になるかもしれない。彼はガラスのような目で宙の一点を見つめている。すると雪の壁の向こうから、突然、真っ黒く羽ばたくものが出現した。これは珍しい——と門番は、相方の不審な様子も一瞬忘れて思った。

巨大な蝙蝠である。腕の長さほどもある不気味な蝙蝠が、ハタハタと羽ばたいている。界隈ではめったに見られない生き物だが、これほど大きいものにはお目にかかったことがない。しかも大雪の中を飛ぶとは、通常では考えられない。いったいどういうことなのか。おまけにあの燃えるように真っ赤な目……あんなに赤い目をした蝙蝠が、この世にいるのだろうか。蝙蝠の双眸がひときわ激しく輝いたように見えた。すると相方が、それが合図であったかのようにぎごちなく一歩を踏み出す。意思を持たぬ人形が操られるかのごとく、彼はゆっくりと正面門に近づいていくと——門番は身動きできずに様子を見守る——枯れ枝のような指を伸ばし、おもむろに太いかんぬきをつかんで、引き抜いた。門を解錠したのだ。理解不能な行動に戸惑っていた門番は、その時、初めて声を上げることができた。

——お前、何をしている!

叱責したが、時既に遅く、門は不気味な響きと共に少しずつ開き始めていた。

と、その向こうに何か黒々とした一団が見えた。

奴らが来たのだ。

そして奴らは、招かれたものであるかのごとく入ってきた。

岡本はここまでを読み、首をひねったという。

毛利は確かに課題を仕上げてきた。しかしどこが『あなたが最も印象に残った体験』だというのだろう。聴講生に求めたのは事実の記録であって創作ではない。ところが毛利のこれは、どう読んでもフィクションであり、小説というか作り話めいている。あからさまな吸血鬼小説のパロディのようにも思えた。『小説を書きましょう』とか『パロディを書いてみましょう』という課題ならばいい。しかし今回求めているのは、あくまで体験記なのだ。毛利が意図を汲まない、でたらめな生徒なら話はわかる。聴講生のほとんどはいいかげんで、講師の意にそった答案を得ることは稀だ。しかし毛利は、これまでの課題でツボを外したことは一度もない。優秀である。何故今回に限って絵空事を書いてきたのだろう。これが体験イコール事実だとでもいうのだろうか。まさか。

——そもそも毛利はどこへ行ったのだろう?と、岡本は思う。毛利すなわち叙述者は、文の中のどこにいて、どうやって事件を見ているのか。百歩譲ってこれが体験記だとしても、文章のどこに毛利の姿があるというのだろう。体験を書かせると、生徒のほとんどは一人称を使う。私、僕、俺などが主語となるのは、自分の経験を綴る以上けだし当然である。実体験を三人称で書く生徒は、ほとんどいない。しかし毛利の作文は三人称で書かれているのだ。どういうことなのか。門番の視点から書かれているので、門番すなわち毛利なのだろうか。一ひねりして、相方の方が毛利なのか。どちらでもないのか。真面目に考えている自分の方がおかしいのだろうか。やはり毛利一流のジョークか。冗談小説……というより、吸血鬼小説のパロディなのだろうか。そうかもしれない。というのは、文中に次のような描写が出てくるからだ。

奴らの中には王がいるようだった。姿かたちは似ているが、動きを見ると、明らかに指揮官がいて群れを統括している。その威風堂々とした采配ぶりは王と呼ぶに相応しい。奴らはその王の周りに十数本の太い杭を瞬く間に立てた。軽々と巨大な木を持ち上げて地面に突き刺すのは並みの力では不可能で、まさに怪物の所業といえる。杭が禍々しく打ち並ぶと、王は中央に仁王立ちし、右手を上げて館を指差す。すると奴らの群れは、風のように素早く館に侵入していった。

その晩、館では宴会があり、人々は酔いしれ、家人、従者、客人も含めて大勢が寝泊りしていた。怪物たちは寝込んでいる人々を襲い、目も覚めやらぬ者どもを拉致し、次々に庭に運び出して杭に突き刺していった。奴らが人間を抱えて、身の丈三倍ほども跳躍する姿は巨大な昆虫かとも思えた。

人々は悲鳴を上げ、もがき、体の中央を貫かれながら次々と絶命していく。血が飛び散り、杭を伝い落ちる。王は犠牲者たちの悶絶する表情を楽しみ、全身を真っ赤に染めながら、髑髏杯にその血を入れて飲んだ。奴らのうちのあるものは杭に吸いつき、あるものは地面に這いつくばって泥まみれの血を啜り、またあるものは犠牲者にじかに食いついた。血の饗宴が始まったのである。

宴たけなわとなった頃、血に酔っ払ったとでもいうのか、奇妙に倒錯した行為が見られ始めた奴らが仲間を杭に突き刺し始めたのだ。荒くれた怪物が、力の劣りそうな同類をたわむれに持ち上げて串刺しにする。四、五匹が犠牲になつた。突き刺された方は悲鳴を上げ、血を流し悶えるが、死にはしないらしく、いつまでたっても手足をじたばたさせている。王は仲間のおぞましい苦悶の様子を見、気の利いた余興であるかのように笑う。空には蝙蝠の黒い翼が羽ばたいていた。

ヴラド公の有名なエピソードを想起させる数節である。公は串刺しにした犠牲者たちの中で食事をしたという。血を飲んだのではなく普通の食事をしたのであるが、これは血を飲む行為よりもさらに異常であった。何故ならその状況で普通に食事するということは、何より最も倒錯した行為であるからだ。

毛利の描写では、杭を突き立ててから犠牲者を串刺しにしたとしているが、一説によると、人間を杭に刺してから、馬でその杭を引いて地面に立てたという。どちらが正しいという問題ではなく——人を串刺しにする方法など一つであるはずもないわけで——様々なケースがあったというべきだろう。

《奴らが仲間を串刺しにした》という部分にも類似のエピソードがある。ヴラド公は家来と共に食事をし、悪臭に文句をいった者に対して「では臭いが気にならない場所に行ってもらおう」と告げ、そいつを他の倍ほどもある長尺の杭に串刺しにしたという。

毛利はこうした挿話をアレンジして小説を書いたのだろうが、彼の文がもし事実(体験記)だとしたら、《王》はヴラド公と極めて資質の似た怪物であるようだ。あるいは怪物が、尊敬するヴラド公の蛮行を真似たのか。

馬鹿馬鹿しい。

やはり毛利の創作した吸血鬼短編である、と見るのが妥当だろう。

「吸血鬼短編といえば——」

岡本は顎に手を当て、メランコリックなポーズを作っていった。

彼は小説家だから、小説の創作なら創作で、様々な引き出しを持っている。特に短編に碰く、エンターティンメントも読み込んでいるようで、吸血鬼短編についてもバイロン(『断片』)やポリドリ(『吸血鬼』)の昔から、当代日本人作家の新作に至るまで目を通していた。私も本は好きだが、吸血鬼ものといったら、ピンクの帯に魅かれて『ライヴ・ガールズ』というエッチな長編(傑作!)を読んだくらいなので、《レイ•ガートンかね、ふむ、しかしマルセル•シュオッブの『吸血鳥』がなんといっても傑作なのだ》などと切り返されてもまるで歯が立たない。だから以下の薀蓄を聞いても一向に要領を得ないのであった。

「吸血鬼小説は星の数ほどある。長編の中で最も有名なのは——日本ではあんまり読まれてなしかもしれんブラム•ストーカーの『ドラキュラ』だが、短編に限るとして、聴講生に『吸血鬼短編を書きなさい』という課題を出したら、授業でどんな話をするか戯れに考えてみよう。まず簡単にヴァンパイア小説史を紹介する。そして……うん、私はこう思うのだが、ジョン•メトカーフの……」

ジョン・メトカーフの『死者の饗宴』は案外重要な作品ではないだろうか。というのも一九五四年に出たこの作品以降、吸血鬼物の怖い作品はほとんどなくなるからだ。『カーミラ』や『謎の男』や『塔のなかの部屋』や『サラの墓』や『マグナス伯爵』にみなぎっていた恐怖感や神秘性は、この作品が書かれた頃から、急速に減退していく。吸血鬼小説は時代が下るほど怖くなくなるのだ。ドラキュラほど大物でなくとも、キャラクター化してしまった吸血鬼が出てくるだけで恐怖度は減る。つまり『死者の饗宴』は、ホラーとしての吸血鬼物の最後の輝きを放っているといってよい。

また『死者の饗宴』は舞台としての城を活かした作品でもあるのだが、古城から吸血鬼を解放し、舞台を飛躍的に拡大(バセット・モーガンの『狼女』はカナダの氷原を背景に、マンモスに乗った女吸血鬼が出現する)させ、ついには大都市に解き放ったのがマシスン、ブロック、ジャコビ、ウィルマンといったウィアード・テールズ系の作家たちだった(ウィルマンの『生ける亡者の恐怖』は引き締まった短編で、怖さも充分)。それはもちろん功績といえたが、一方では吸血鬼の世俗化をもたらし、同時に古来からの怪物は、その侵食的な影響力を活かしたあらゆる職業——モデル、俳優、歌手、政治家などに就かされるようになった(この手の作品では、女吸血鬼モデルを描いたフリッツ・ライバーの『飢えた目の女』が印象に残る)。さらに六三年にはボーモントのしやれた筆致によって『血の兄弟』などという短編が書かれ、吸血鬼の当世風処世術といったテーマが繰り返し語られることになった。中にはロン・ディーの『スタイルの問題』といった愉快な作品もあるのだが、こうした一連のパロディ風の小説が、吸血鬼から急速に怖さを奪っていったことは否定できない。

さて『死者の饗宴』に話を戻すと、この作品にはもう一つ重要な要素がある。ここに出てくる怪物は血を吸うのではなく、心や精神や人間性を吸い取る——いわゆるマインド•スポンジ——マインド系の吸血鬼であるということだ。吸血鬼というよりは(式貴史ではないか)吸魂鬼である。吸血鬼は血を吸う怪物というイメージを一新したという点でも、これは画期的な短編なのだ。その梭、こういったエネルギーを吸い取る捕食者に関してはSFサイドからもさかんにアプローチされ(スタージョンの『闇の間近で』他)、ダン・シモンズの『死は快楽』を含むエレン・ダトロウ編の『血も心も』などは、マインド•ヴァンパイアのアンソロジ—といってもいいくらいである。このマインド•ヴァンパイアは確かに一時期のトレンドではあったのだが、残念なことに佳作を多く産むことはなかった。私見だが、テーマが広がりすぎ、ホラーとしての勘所がつかみにくかった——それゆえ作品はホラーというよりSFに近づく——せいではないかと思う。

では吸血鬼ではもう戦慄度の高いホラーは書けないのか。ヴァンパイア小説に怖さを取り戻すことは不可能なのだろうか。

よくしたもので、こういった方向にも様々な試作がなされている。吸血鬼小説から一旦失われた怖さを取り戻すにはどうするか。一つには、吸血鬼を本質的に怖い環境や状況に立たせればよい。例えばナチ、例えばエイズ。こうしたものとヴァンパイアを対置して描く作品は案外多いのだが、あらゆる社会派作品がそうであるように、結果として、吸血鬼を利用して社会告発をしているような作品になりがちである。怖いことは怖いのだが、怪奇小説としての感銘が薄い。また、こういう手もある。キャラクター化し、パロディのネタにしかならなくなった吸血鬼から《名前》を奪うのである。この意味で『死者の饗宴』の怪物が《サンノム》すなわち《名なし》であるのは極めて象徴的かつ示唆的である。ここから吸血鬼の異形化が始まる彼らはもはやベラ・ルゴシではなく、彼のような濃い二枚目として描かれることもなく、美女でもなく、時には人間の形すらしていない。それはナメクジのような怪物であったり(ベイジル・コッパーの『読者よ、わたしは彼を埋めた!』)、木であったり、船であったり、海であったりする。しかしここに至ると作品は急速に、かつてのフォークロア調吸血鬼譚——例えばメリメやゴーゴリ——に近づいていく。一九九五年に発表されたダイアナ・L・バクスンの『吸血獣』は面白い短編だが、しかし、一八四七年に著されたアレクセイ•トルストイの『吸血鬼の家族』の方がより面白く、怖く、しかも新しい(!)といった逆転現象が生じてくるのである。このような流れの中で毛利の吸血鬼小説——これが小説とするなら——を見てみると、どうだろう。新しい要素をつけ加えているだろうか。一通り読み通しても、新機軸というほどのものはない。しかし次のような殺害描写が、吸血鬼物としては珍しいともいえた。館の中にも豪胆な人たちがいて、果敢にも奴らに立ち向かっていった。例えばコバヤシは、奴らの一匹に布団を剝がされ、捕まりかかった時、反射的に腕を取ってそいつを投げた。みごとな体術である。怪物は無様に壁に激突したが、すぐさま立ち上がって笑いを浮かべた。こいつらには痛みの感覚がないのか、と思った時、コバヤシの目に何本かの光の矢が映った。彼はその瞬間に絶命した。何が起こったのかはわからなかった。コバヤシの額、心臓、右肩、腹に、フェメンンングの剣で突き刺したような細い穴が開いている。敵がニードルのようなものを放ったのだ。しかしそれは、金属の針ではなく、水の針だった。怪物は奇妙な口から液体を猛烈な速さで飛ばし、コバヤシを射殺したのである。

一方シミズは、女性の首に食いつく怪物を引き剝がそうとしていた。彼は館の中で最も勇猛な男として知られていたが、その力を持ってしても怪物は——みすぼらしい成人男生ほどの体格なのに——びくともせず、平然と血をすすり続け、女はついに床にくず折れた。シミズは手にした得物で切りつけたが、血が飛び散ったにもかかわらず、びくともしない。——とその顔を見ると、奴の奇妙な形の口から唾液のようなものが滴っているのに気づいた。と、その水流は、見る間に勢いを増し、すぐに一本の針金のように勢いよくほとばしり始めた。次の瞬間、シミスの首は飛んでした。凄まじい速さで飛ぶ水が、水の刃となり、レーザー光線のように首をすっぱりと切断したのである。首を失ったシミズの体は、両手を泳がせながら廊下にばたりと倒れた。

この箇所を読み、岡本は閉口し、毛利にいったという。

「何だねこれは。仮に小説だとしてもリアリティがなさすぎる」

その夜、他の聴講生たちのすべてが帰つてから、彼らは原稿を前に話しこんでいた。蛍光灯の明かりが、妙に薄ぼんやりと講義室を照らし出している。外は音もなく雪が降り、時々静寂を破るかのように犬が遠吠えをあげた。

毛利は、犬が鳴きやむのを待って口を開く。

「現実感がありませんか。しかし本当なんです。奴らは僕が書いた通りの方法でシミズやコバヤシを殺していきました」

彼は一拍おき、

「蚊は血も吸うけど、毒も出すっていうでしょう。人の感覚を麻痺させるためにね。奴らもそういった毒液を体内で作り出します。それを口から凄まじい勢いで吹き、飛び道具にしていたんです」

「水の矢のようにか」

「あるいは水の刃物のように」

「ナンセンスだ。吸血鬼が巨大な蚊であるとでもいうのか。おまけに高速で唾液を飛ばすなど」

「蚊、唾液」

毛利はフフと低く笑つて、

「馬鹿馬鹿しいですか。でも岡本先生は、吸血鬼そのものの存在は否定しませんよね。否定できるわけがない。だって……」

彼はうつむき、顔半分を覆うマスクの向こうから、くぐもつた声を出す。

「吸血鬼って本当にいるんですから」

その暗い響きに吞まれて反射的に納得しかけたが、すぐに理性が勝り、慌てて脳裏の想いを打ち消した。ヴァンバイアなんていない。吸血鬼が実在するなどあり得ない。しかし吸血鬼に取り憑かれた変質者ならいるだろう。毛利の風体が、まさしくそれに当てはまる。いや、人を見かけで判断してはいけない。だが、彼は何故いつもマスクをしているのか。どうして夜なのにサングラスを掛けているのか。明らかに異常ではないか。広い講義室の中に二人でいることが急に不安に思えてくる……

岡本は心細さを振り払うようにいった。

「吸血鬼は実在するといえないこともない。例えばこういうことがある。有名な風説だが、ストーカーが『ドラキュラ』を書いたのは、蟹を食べすぎたからだというのだ。ストーカーは蟹を食べすぎ、消化不良を起こし、悪夢を見て、それが件(くだん)の名作を生んだ。しかしこの《蟹を食べすぎた》というゴシップをすぐに《消化不良》と結びつけるのはいただけない」毛利の様子をうかがうが、反応がないので続ける。

「何故なら蟹を食べるということは——マンディアルグが『城の中のイギリス人』序文でいうように——《生体の分解、解剖、解体》に似ており、蟹こそは《サド的な》食べ物の代表格であるからだ。『比猫』などの短編を読むと明白だが、ストーカーも明らかにサド的な作家で、マンディアルグと一緒によく蟹を食ったというハンス・ベルメールも含め、この三人は明らかにサド的吸血嗜好をもったクリエイター、あるいは吸血鬼の末裔といっていい。この意味では確かに吸血鬼が実在する」

「アーティストを持ち出すとはさすがに先生ですね。僕はエリザベート・バートリとかジル・ド・レーの名前が出てくるかと思いましたよ。あるいは実在した連続殺人犯——デュッセルドレフの吸血鬼、ペーター•キュルテンであるとかね」毛利は首を傾げ、少し考えているふうだったが、「先生のいう意味でもヴァンパイアはいるでしょう。でも僕の書いた作文も事実なのです僕はほんとの体験を書いたのです」

あくまでいい張るつもりらしかった。

岡本はあきれ、原稿用紙をめくり、最後の部分を出していう。

「信じられんよ。特にこのラスト。これはいかがなものだろうか」

老人は蔵の中で震えていた。奴らが攻めてきたのはすぐにわかり、真の目的が自分であることも即座に察知し、彼は従者を二人連れて、寝所から蔵へと遁走したのだ。蔵は墨を流したような暗闇で、古びた布の臭いが充満していた。それにしても——と老人は思う——奴らが来るという噂は流れていたが、本当に襲撃してくるとは思わなかった。心のどこかでは信じていなかったのだ。しかし奴らは来た。今も、悲鳴が聞こえ、こうしている間にも一人、また一人と殺されている。何のために。もちろん飢えを満たすために。しかしそれだけではない。奴らは仇としてこの自分を狙っているのだ。これは紛れもなくあだ討ちである。あのような輩にも忠誠心というものがあるらしい。笑わせる。だが……

老人の体は芯から震えた。寒さゆえか恐怖心からかはわからない。見ると従者たちも痙攣するように身を震わせ、歯を鳴らしている。頼りない。いざという時、この自分を守って戦うことができるのだろうか。老人が首をひねった時、いきなり扉が開いた。雪が素早く舞い込み、雪明りが蔵の中をぼんやりと浮かび上がらせる。老人は息を止めた。従者たちの荒い息遣いだけが耳に響く。全身の筋肉が硬直した。何も起こらない。動かない。

と——いきなり西瓜のようなものが投げ込まれた。その球体がごろごろと床を転がり、足に当たつて止まった時、老人は正体に気づいた。生首だ。白目を剝いた男の生首が足元に転がっている。奴らは生首を放り込んできたのだ。彼は悲鳴をこらえたが、二人の従者が甲高い声を上げ、腰を浮かした。すると、丸いものがさらに一つ、二つ、三つ、四っと投げ込まれてくる。若い女の、青年の、子供の、老女の生首だ。切断された子供の生首は、老人の胸元に当たり、服を生臭い血に染めた。老女の生首は、従者の一人の耳元に食らいつかんばかりにぶち当たった。絶叫が混ざりあい、自分の悲鳴か他人の悲鳴か区別がつかない。従者の二人が前後の見境なく表に飛び出す。即座により凄まじい悲鳴があがる。それから辺りは再び静まり返った。顔中が涙と鼻水で汚れ、股ぐらもぬるぬると濡れている。老人が手の甲で鼻水を拭って強く啜り上げた時、奴らが足音もなく入ってきた。もはや抵抗するすべもない。彼は両側から腕をつかまれ、力なく蔵の外へと連れ出された。外には王が待ちうけ、何十匹もの怪物が蔵の周りを取り囲んでいる。奴らの顔には一様に満足げな表情が浮かび、従者二人の死体はいずこに持ち去られたか、影も形もなかった。老人は王の足元に、乱暴に放り出された。王は老人を見下すようにねめつけると、静かに顎を引く。隣にいた怪物が、一歩前に出る。と、口から剃刀のような水流を吹き出した。老人の首がシャリッと切断された。血が噴水のように飛び散り、爆発したかのごとくであった。頭が落ちて転がっていく。奴らのうちの何匹かが驚喜と狂気の入り混じった雄叫びを上げ、老人の胴体にふるいつく。切り株のような首の切断面に吸いつき、ちゅぱちゅぱと血を飲む。腹や背中や手足に取りつくものもいた。王はその様子にちらりと目を遣ると、老人の頭にゆっくりと近づいていき、髪をつかんで生首をつかみ上げ、よく通る低い声でこういった。

——キラの首、討ち取ったり!

「これは何なのかね」

岡本は原稿から毛利に視線を移し、

「キラとは、あの有名なキラのことかね。すると怪物たちと戦ったシミズとコバヤシというのは——」

「ご賢察の通りです」

「ならばこれは例の……有名な……討ち入りを書いた小説だとでもいうのかね」

「いいえ」

毛利はきっぱりと否定し、

「小説ではありません。体験です。元禄の頃の実体験です」

冷静な口調であり、からかうような気配は微塵もない。

岡本は彼の正気を疑いながら、

「馬鹿をいっては困る。元禄といえば一七〇〇年頃だろう。君はそれから三〇〇年も生きているというのか」

「生きながらえています。当たり前ではありませんか。僕は吸血鬼なのですから」愕然とした。この男、やはりおかしい。精神に異常を来たしている。彼は心を病み、自分が吸血鬼だと信じているに違いない。机の向こうに座る毛利は微動だにせず、時々マスクがわずかに浮き沈みするだけだ。岡本は彼の口元から目が離せなくなった。今も、白いマスクが微かに沈み、言葉が静かに流れてくる。

「先生、……岡本先生、吸血鬼は実在するのです。たとえばこんな話に興味はありませんか奴らの口は体液を発射すると、僕は書きました。その口は映画で見るような——唇から牙が二本にゆっと出ているといった——ものではないのです。それどころか口らしい口かなく一本の注射針のようなものが突き出ているだけなのです。奴らは……われらはその針で血を吸い、己の体液を注人し、時に武器として水流を発射します。つまり犠牲者の首に残る二つの穴は、二本の牙によるものではなく、同じ針によって二回刺された跡なのです。吸血鬼が犠牲者を吸血鬼化するには、ただ血を吸えばいいというものではなく、体液を注ぎ込まねばならないのです。どうです先生、突拍子もないと思いますか。しかしあまりに現実離れしていて、逆に妙なリアリティを感じませんか」

「あいにくこちらは頭が固くてね。そんな話より、あの義士たちが吸血鬼だったということの方が、もっと現実離れしている」

「間違いなく吸血鬼でしたよ」

「君がいうだけではね」

「では、彼らが吸血鬼だったということの傍証として、こんなのはどうでしょう。記録によると四十余名は切腹したということになっています。しかし実は、彼らは自死したのではありません。全員が退治されてしまったのです。彼らはお上の手による者たちによって殺されました。しかし吸血鬼は巷でいわれているように、死んでも灰となるわけではありません。人間と同じように悲惨な死体を残します。だからお上は武士の情けで、彼らを切腹したということにしたのです」

「いわんとする意図が、よくわからないのだが」

「吸血鬼を退治するにはどうしますか」

「杭を打ち、首を切る」

「切腹は」

「腹を切り、首を切る」

「極めて近い。そう思いませんか。討ち入った吸血鬼たちは、実は杭を打たれ、首を切断されました。しかしそんなことが事実として広まったら、一族から吸血鬼が出たことが明白となってしまい、ご家名に傷がつきます。ですから彼らの死体を切腹死に偽装したわけです。つまり切腹——日本の伝統的な風習である腹切りは、退治された吸血鬼の死体を偽装するための、極めて有効な手段だったのです。長い歴史の中では、本来の意味で切腹した者も多くいたでしょうが、古来より、どれほど多くの吸血鬼の死体が偽装されたことでしょう。いかに多くの吸血鬼たちが退治され、お家のために腹を切ったことにされたでしょうか」

「お上が吸血鬼になど、情けをかけるものだろうか」

「かけますとも。わが同胞がやったことは、手段はどうあれ立派に主君のあだ討ちだったのですから。思えば……その主君も切腹したとされました。彼も吸血鬼だったのです。主君は、はしたなくも殿中で猛烈な飢えに襲われ、大廊下で老人に襲いかかり、捕らえられました。哀れな最期でした——」

彼は黙祷するかのようにしばらく黙り込んでから、いった。

「——そうです。わが主君もわが《王》も、すべては吸血鬼だったのです。私には幕末の京都を騒かせた流血集団の隊長K氏も、戦後文壇の寵児M氏も同類だったと思えてなりません。K氏は吐血する美少年剣士O君を飼っていたのかもしれず、M氏の異色短編『仲間』は自身が吸血鬼であることの(仮面の)告白だったかもしれないのです。日影丈吉は『吸血鬼』という短編を《吸血鬼伝説というものは東洋にはないのか》という印象的な書き出しで始めていますが、何をおっしゃる、東洋の中でもこの日本、日本こそが王国、吸血鬼王国だったのではないでしょうか」

岡本はしばし呆然としたが、やがて自然とこんな言葉が口を突いて出た。

「王国——王国だって。日本が吸血鬼王国。しかし……あまりに馬鹿げている。くだらぬ与太話だ。よしんば君のいうことがすべて事実であるとしよう。百万、千万に一つ事実であると仮定しても、君の書いたものはやっぱり実体験とはいえない。何故なら毛利君は文中のどこにいて、数々の場面を見ていたのかね。君は文章の中に登場さえしていないではないか」「ちゃんと登場していますよ」

彼は原稿の最初の方を示し、

「《雪の壁の向こうから、突然、真っ黒く羽ばたくものが出現した》——蝙蝠です。僕は蝙蝠に変身していたのです。《王》への忠義心から、門番を吸血鬼化し、門を解錠させはしました。しかし吸血鬼としてではなく、武士として斬り込むべきだと考えていたので、殺戮には加わらず見守るにとどめたのです。僕は上空から庭に目を遣り、屋敷や蔵の中に入って成り行きを見届けました。結果、退治されることもありませんでしたが、記録上は脱盟した最後の藩士とされ、後世には芳しくない評判が伝わることとなりました」

「確か君の名は、毛利小—— 」

「その名をこの三〇〇年、使い続けたのです」

「だが……」

岡本は頭を抱えた。

「やはり、信じられない」「無理もありません」

毛利はあっさりと認め、

「判断は、僕の顔を見てからにして下さい。生き続けているうちに魔力は衰え、今では人間を操り、思い通りに動かすことはできません。目の前にいるあなたに幻覚を見させることすらできないのです。僕の顔は——吸血鬼の真の顔は、あなたの目に、ありのままに映ることでしょう。さあご覧なさい。もっともお代はただで——というわけにはいきませんが」彼の両手がゆっくりと顔の方へ上がっていく。

「待て!」

岡本は腰を上げ、牽制するように両手を突き出す。

「待ってくれ。ごめんこうむる。私はそんなもの、見たくない」

「もう遅い!」

怒鳴りつけると毛利は、おもむろにサングラスとマスクを外し、岡本に自分の顏を見せた。今まで決して見せようとしなかった、真の顔を。

「で、毛利はどんな顔をしていたんだね」

と私が聞いたのは、岡本がいつまで経っても話を続けようとしないからだ。彼は宙にぼんやりと視線を投げかけている。記憶の確かさを疑い、二年前の毛利との場面を脳裏に再現しているらしい。傾げた首に、一つか二つの小さな丸い傷跡があるようだ。岡本は小刻みに体を震わせ始める。じれったくなり、もう一度聞こうとした矢先、彼は口を開いた。「毛利は……狂っていたに違いない。あるいは私の気が違っていたか、すべては幻だったのか」

そんなことを聞きたいのではない。

「私が聞きたいのは、毛利がどんな顔をしていたか、岡本さんが何を見たのかだよ」「何を見たかだって。それは……そう、毛利の顔だ。いいや私は何も見ておらん。その時は固く目をつぶっていたからな……いや、やはり見たのかも、怖いもの見たさに目を開けてしまつたのかも、凝視してしまったのかも……ああ……私は見てしまった……が、机の向こうにいたのは、普通の青年だった。ありきたりな顏で……しかし奴は確かに……少しおかしな様子をしていたが、あれは皮膚病か何かで……」

要領を得ない。私は質問を繰り返し、途切れがちの言葉をまとめて一節にしたが、それをこれまでと同じ調子で書き記すのには抵抗がある。岡本が情緒不安定になり、話の信憑性が著しく欠けてしまったうえに——もとより聞き書きなど当てにならないものだが——私の思い込みが混じってしまった可能性があるからだ。サングラスにマスクの青年は軽い皮膚病を患ってしただけかもしれない。それを岡本がデフォルメし、私が歪みを拡大してしまったということもあり得る。描写が不確かだと責めないでほしい。人は他人の顔はおろか、己の顔すら満足に文章化しきれない。そもそも人間は自分の本当の顔さえ一生見ることができないし、まして相手は吸血鬼である。以上の留保をつけたうえで、ヴァンパイアの真の顔に関してまとめた文章を付しておく。

毛利は青白い蛆虫のような顔色をしており、皮膚のところどころに黒い染みが浮かび、ある部分は老人のように乾燥してひび割れ、またある部分は膿んだように汁気を持ち、丸い両眼は血のように赤く、まるで蟷螂や蠅の複眼——巨大な昆虫の目——のように見えた。鼻は欠け落ち、髑髏のような二つの穴が残るのみで、口はなく、本来口のあるべき部分はできもので塞がり、山形に盛り上がっていて、その先端に一本、鋭く長い針のようなものが飛び出してした。

そして毛利は、あざ笑うかのように顔中に皺を走らせたかと思うと、針の先から一滴、黄ばんだ臭い液体をどろりと滴らせた。