この上ない機能美を感じさせる小説、それが『名探偵のはらわた』である。この本に書かれていることは全すべてが謎なぞ解ときに奉仕するための材料だといって良い。緻ち密みつに組み上げられた工芸品の美しさを愛めでるような思いを抱かずにはいられない作品なのだ。
本書は白井智之にとってデビューから七冊目に当たる作品で、元版は二〇二〇年八月に新潮社より刊行された。計算し尽くされた展開が待つ小説であるが故ゆえに、ネタばらしを避けてあらすじを紹介するには細心の注意を要する。それでも明かせる範囲の情報までは書いておこう。主人公は原田亘という青年で、名探偵として名高い浦野灸の事務所で助手として働いている。愛称は〝はらわた〟で、大正から昭和初期にかけて活躍した探偵小説家・左門我泥の作品の愛読者でもある。本書の目次を見ると「神咒寺事件」「八重定事件」「農薬コーラ事件」「津ヶ山事件」という四つの章から構成されていることが分かる。つまり本書は各章で起こる謎を解き明かす、連作形式の本格謎解きミステリになっているのだ。
最初の「神咒寺事件」では、複数の男女が寺で火災に遭い一名以外が死ぬという事件が描かれる。初しょっ端ぱなから濃密な謎解きを味わうことが出来るのだが、それでも「神咒寺事件」は物語の序章に過ぎない。この章であるとんでもない事が起きて、読者はそれまで見ていた光景が丸ごとひっくり返るような感覚に陥るはずだ。各章では探偵と犯人の知恵比べが繰り広げられるのだが、そこにある特異な設定が持ち込まれていることが『名探偵のはらわた』という作品の特徴だ。
内容に関して書いても良いのはここまでだろうか。もう一つだけ情報を加えるならば、本書の冒頭に書かれた〝記録〟の内容である。そこには先ほど章題にあった「八重定事件」「農薬コーラ事件」「津ヶ山事件」のほかに「玉ノ池バラバラ殺人事件」「四葉銀行人質事件」といった事件の顚てん末まつが書かれている。この時点でお察しの方も多いだろうが、これらは昭和の時代に起きた実際の猟奇犯罪を模したものだ。果たしてこれらが物語とどのような関りを持ってくるのかは、もちろん読んでからのお楽しみである。
最初に述べたように、本書は精巧な機械仕掛けのような構造を持った作品だ。白井智之は文章の中にさり気なく謎解きのための伏線を忍ばせる技術に長たけた作家であるが、その技巧は本書でも遺憾なく発揮されている。比ひ喩ゆでも何でもなく「この本まるごと伏線」と言って良い。以前、筆者が主催するトークイベント〈新世代ミステリ作家探訪SeasonⅡ〉に、ゲストとして白井智之を招いたことがある。その折、白井は作品を書く際に、まず使いたい謎解きの技巧や型を決めて、それを一層ひねったものにするために必要な設定を後から加えていく形で執筆を進めていると述べていた。はじめに技巧と型ありき。この姿勢が白井作品を読み解く上で肝心な点だ。例えば『人間の顔は食べづらい』、『東京結合人間』、『おやすみ人面瘡』(いずれも角川文庫)では現実世界には存在しない異形が登場し、読者の度肝を抜く。だが後から読み返すと、それが謎解きのための大事なピースとして必要なものだったことが分かるのだ。この無駄のなさこそが、白井智之の描く謎解きミステリの美しさに繫つながっている。
謎解き小説としての白井作品の魅力を、伏線の観点からもう少し突っ込んだ形で見てみよう。『名探偵のはらわた』をはじめとする白井作品で書かれる伏線は、以下の①②③に大別されるのではないかと考える。①真相を特定するための決め手となる手がかりになるもの②それ一つでは決め手とはならないが、推理を補強する材料として機能するもの③推理には直接つながらないが、その後の物語の展開を暗示させるもの。この①②③を上う手まく描き分け、物語の至る所に鏤ちりばめることで、白井の作品は緻密な構造を持った小説として完成するのだ。もし本書を読まれた方の中に、自分も謎解きミステリの書き手になりたいと志望する人がいたら、是非とも再読して先ほどの①②③の分類にしたがって伏線を吟味することをお薦めする。昨今、「伏線回収」という言葉がミステリに限らずフィクションの中で話題になることが多い。だが伏線と一口に言っても、そのバリエーションは様々である。白井智之の作品は、その技巧の豊富さを知るための、格好の教科書となるはずだ。
『名探偵のはらわた』はいわゆる多重解決と呼ばれる趣向が使われた小説でもある。多重解決とは一つの謎に対して幾つもの推理が提示される形式のことで、複数の解決を並べることで密度の濃い謎解き物語を描くことが出来るのだ。だが、多重解決ものを書く際には大事な注意点がある。最終的に示される解以外の推理も魅力的なものでなければならない、ということだ。どんなに推理を重ねて複雑な展開を作り出そうと、途中で捨て駒こまだと簡単に分かるような推理が描かれてしまえば一気に興ざめしてしまう恐れがある。白井作品の多重推理には断じてそのような事は起こらない。提示される推理は一見、どれも完かん璧ぺきに思えるようなものばかりだ。それを覆くつがえすことが出来るのは、徹底的に余詰めを排する検証によって論理にほんの僅わずかばかりの穴が見つかった時だけである。こうした隙すきの無い多重解決が描けるのは、先ほど述べたように白井が書きたい謎解きの型や技巧から逆算する形で物語を組み立てているからだろう。
もう一つ、『名探偵のはらわた』で見逃せないことがある。作中、ある人物が放つ「お前の推理には体温がない」という言葉だ。ここでいう体温とは、思考の流れや心理状態であると解釈してもらいたい。実はこの体温こそが、白井智之の謎解きミステリを語る上で最も重要なポイントではないかと考えている。先ほども挙げた『人間の顔は食べづらい』をはじめ、白井の小説では奇怪でグロテスクな存在が跋ばっ扈こするため、物語は一見すると非常識的な世界に浸っているようにも思える。しかし、いざ展開する推理を読んでみると、そこには「こういう状態に陥ったら、この人はこのような行動を取るだろう」という、ごく自然で理にかなった人間の心の動きが書かれているのだ。この点が最も良く分かる作品が、『死体の汁を啜れ』(実業之日本社)である。本作は豚の頭を被かぶった死体など、傍から見ると狂った人間が施したとしか思えない奇妙な死体ばかりを扱った謎解き連作短編集である。だが、死体の不可解な状況を論理でひも解いていくと、そこにははたと膝ひざを打つような人間の感情の流れがあるのだ。
白井智之は一九九〇年生まれで、東北大学の在籍時にはSF・推理小説研究会に所属していた経歴を持つ。先ほど紹介した〈新世代ミステリ作家探訪SeasonⅡ〉のトークイベントで白井は影響を受けた作家として、横溝正史や三津田信三、飴村行の名前を挙げていた。三者ともミステリとホラーを跨またぎながら作品を残している作家だ。また、白井は大学時代にスプラッターホラー映画に嵌はまっていたこともイベント内で述べていた。第三四回横溝正史ミステリ大賞の候補作となった二〇一四年のデビュー作『人間の顔は食べづらい』は食用クローン人間が合法化された近未来を舞台にした作品で、その後も結合人間なる生物が登場する『東京結合人間』、人面瘡が謎解きの鍵かぎとなる『おやすみ人面瘡』、ミミズ人間なる単語が飛び交う『お前の彼女は二階で茹で死に』(実業之日本社文庫)などなど、グロテスクな奇想を盛り込んだ謎解き小説を続々と発表した。非現実的な設定を作中に織り込み謎解きを描く、いわゆる〝特殊設定ミステリ〟と呼ばれる作品群が、近年の国内ミステリの中で流行している。白井は〝特殊設定ミステリ〟という言葉が一般化する前から、このサブジャンルに取り組んでいた一人だといえる。ちなみに綾辻行人は『東京結合人間』刊行時の帯に寄せたコメントで〝鬼畜系特殊設定パズラー〟という呼称を用いて白井の作風を表現しているが、まさに言い得て妙だった。
なかには顔をしかめたくなる様な際きわどい描写もあるため、白井智之という作家の名前を聞くと、時にグロテスクな印象が先行しがちな面もあった。そうしたイメージが和らいだのが『名探偵のはらわた』である。本書はこれまでの白井作品にあった異様さは幾分か控え目になっているだけではなく、キャラクターの親しみやすさなども過去作に比べてずいぶんと増している。さらに言えば、物語を読み進めるにつれて、心の中に滾たぎるものも芽生えてくるのだ。まさか白井智之の小説を読んでいて「滾る」という感想が出てこようとは。ともかくそれまでの白井作品を敬遠していた方にも、是非とも本書を手に取ってもらいたい。
それでもまだ苦手意識が拭ぬぐえない貴方あなたへ。ならば同じく新潮社より二〇二二年九月に刊行した『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』をお薦めしておこう。これは本書『名探偵のはらわた』の姉妹編に当たる作品で、カルト教団の作り上げたジョーデンタウンというコミュニティで起こる怪事件に探偵が挑む話だ。『はらわた』同様に企たくらみが多い作品なのであまり内容に踏み込んで紹介は出来ないのだが、本書では白井作品の中でも指折りの多重解決場面が描かれていることはまず強調しておこう。また伏線の技術も極まっており、『名探偵のはらわた』以上に物語の無駄が一切ない構成に驚嘆する。おまけに顔をしかめる様な要素がほとんど無く、純粋に巧緻な謎解きを構築することに腐心する著者の姿勢が、熱いくらいに伝わってくる小説になっているのだ。間違いなく、現時点における著者の最高到達点だろう。その評価を裏付けるように、『名探偵のいけにえ』は『2023本格ミステリ・ベスト10』(原書房)の国内編第一位に輝いた。『名探偵のはらわた』『名探偵のいけにえ』で、型と技巧にこだわり、人間の体温を大切に描く謎解き作家、白井智之の神髄を味わってほしい。