大行司春香最初の事件

麻耶雄嵩
まや・ゆたか

1969年、三重県生まれ。1991年、『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビュー。2011年、『隻眼の少女』で第64回日本推理作家協会賞と第11回本格ミステリ大賞、2015年、『さよなら神様』で第15回本格ミステリ大賞を受賞。デビュー作以来、〝犯人当て〟というタイトな謎解きミステリの第一線に立ちつづける麻耶は、探偵役の推理や地の文でフラットな手続きのもと事件の内幕を語るかに見せながら、真相は不自然きわまりないという、パラドキシカルな世界を現出させる。探偵志望の女子バディもの『友達以上探偵未満』では、物語が進むにつれ、謎解きという公明正大さの求められる状況に対し、ふたりの関係が対等なバランスで成立しているわけではないことが示唆される。そのうえ解く謎がなければ、その均衡の具合さえも確認できないという主客の逆転も生じる。この構図を百合と認識するかは読者次第だが、ミステリキャラクターのあいだにある水面下のあやうさを扱った例として、『名探偵木更津悠也』や『化石少女』のシリーズが挙げられるだろう。

想い出の百合作品

星新一『なりそこない王子』収録作

昔はミステリでは百合はレアで、その意外性ゆえにトリックとして使われることが多く、タイトルを出すとネタバレになってしまいます。なので伏せざるを得ませんでした。とにかく切れ味が鮮やかすぎます。

土曜ワイド劇場『天使と悪魔の美女』

天知茂の明智小五郎シリーズです。鰐淵晴子と美保純の妖艶なベッドシーンが堂々とお茶の間に流れていました。それも元日の夜に。もちろん私も家族と一緒に観てました。最高に気まずかったです。


 期末テストが終わった翌日の放課後。岩いわ屋や明あ奏か里りは一足早く校舎の外れにある不可思議部の部室に向かった。

 部室は校舎とは独立した平屋の建物で不可思議荘とも呼ばれている。少し古風な洋風の建物で、内装も白い天井から延びるアンティークなペンダントライトに石柱風の白い柱に白を基調とした壁紙。背が高い窓にかかった白いレースのカーテンに沿うように白いソファーが置かれている。その前の大理石のテーブル。白みが強いマーブル模様の床と、白を基調に全体が統一されていた。

 落としたヘアピンの音まで聞こえそうな静寂。一週間ぶりの部室は少し埃ほこりっぽかった。

 一体何の話だろう?

 切羽詰まった相手の表情に疑念を覚えながら、明奏里は部屋のドアを手前に引いた。不安で心臓がどくどくする。





「ヤッホー、岩屋」

 胸を押さえながら現れた明奏里に、聞き覚えがあるハイテンションな言葉が投げかけられた。思わず窓際を見る。

「美み沙さ希き先輩、そこにいたんですか。驚かさないでください」

「久しぶり。びっくりした?」

「やめてください、心臓に悪いですから。まあ……何となくそんな気がしましたけど」

 嫌な予感というのは当たるものなんだと、明奏里はしみじみ思った。

「素っ気ないわね。でも少し云いい返すようになったんだ」

 夏服の赤が目立つセーラー服姿で窓際のソファーにでんと身を預けた美沙希が、涼しい顔で微ほほ笑えんでいる。相変わらず表情が読めない漆黒の瞳に主張が強い鼻と唇。ゴッホの星月夜を思わせる茶色くうねった癖毛が広い肩幅の肩にまとわりついている。

 軽く身体を浮かせた彼女の背後のカーテンからは、午後の陽光が差し込んでいる。カーテンに影だけ映っているが、窓の外には枝振りよく広がった樟くすの木が風に揺らいでいた。その樟の木を背景に透過する光が美沙希を包み込み、彼女そのものを透かしているようで神秘的にすら思える。

 幾度も見慣れた光景のはずだが、今日は不思議と新鮮に感じられた。

「もう先輩に遠慮しても仕方がないというか」

「岩屋も成長したんだ。先輩として嬉うれしいよ」

 静かな眼差しを向けてくる。皮肉めいた笑み。美沙希は快活で社交性もある、誰からも慕われる先輩だった。ただ明奏里には、心を見透かされているような眼差しが苦手だった。

「それは厭いや味みですか……別の意味で嬉しそうに聞こえますけど。確かに美沙希先輩の気持ちが少し理解できた気がします。春はる香かのワトソン役は楽しかったですし」

 すーと美沙希の脇を通り過ぎ、カーテンの隙間から外を眺める。先ほどの樟の木が陽光できらきらと輝いていた。乱反射が鋭く目に刺さる。思わず目を背そむけた。いつまで経っても光の眩まぶしさには慣れない。樟の木の先には霊峰比ひ叡えい山ざんの緑が頂上まで続いている。参拝用のロープウェイの鋼こう索さくもはっきりと見える。

 比叡山の山裾に学舎を持ち、風光明媚な宝たからが池いけ公園にほど近い場所にある宝ヶ池女学院。密教系の高校で、校舎は斜面に建ちフェンスの外には池や丘、林など自然が続いている。時折シカが山を下り校庭に迷い込んでくる、のんびりした場所だった。

 ただ京都で長い伝統を持つ名門校なので、洛中から通う生徒も数多い。明奏里は近くの新興住宅地に住む新参者だが、美沙希は西陣の老舗しにせの呉服屋のお嬢様だった。近寄りがたく感じるのは古都の歴史を背負った雰囲気もあるかもしれない。一時は生徒会長に推されそうになったほど人気も人脈もある人なので、こちらがかってに気後れしているだけかもしれないが。

「で、岩屋はこれからどうするつもり? もう少し様子を見る? それとも春香を諦める?」

 美沙希が尋ねてくる。暢のん気きな口調だが、決断を迫る力強さがあった。明奏里は答えるのを一瞬ためらった。まだどきどきする胸を軽く押さえながら、

「……春香は渡しません」

 きっぱり云い放つ。美沙希は最初から解っていたように、

「まあ、そうなんだろうけど。でないとああはならないし。私と同じか」

 ソファーの上で長い脚を組み替える。

「春香は私の太陽なんです」

「ストレートに云えるようになったね。前からそうだったらよかったのに」

 美沙希が指摘するように、少し前の明奏里は、消極的ですぐ言葉を濁す性格だった。そのため肝心の春香に何も想いを伝えられていない。

「岩屋は樟しよう脳のうって知ってる?」

 突然、美沙希は話題を変えた。

「防虫剤のですか」

「そう。タンスの隅とかにおいてあったやつ。あれってあの樟の木から採れるから樟脳と云うらしいって」

 背後の樟の木を反そった親指で示す美沙希。唐突なうんちくに戸惑っていると、

「つまり樟の木には防虫効果があるの。だからお寺の仏像とかは樟の木で作られたりするし、境内にはたくさん樟の木を植えたりするんだけど……」

 美沙希はこちらを見た後、

「窓の前に立派な樟の木があるのに、全く虫除けにならなかったよね」

 なるほど。明奏里は腑に落ちた。自分を春香にまとわりつく害虫だと云いたいのだろう。

「先輩は違うんですか」

「岩屋から見たら私が虫なんだろうけど、物には順序というのがあるから」

 臆面もなく先輩風を吹かす美沙希。しかし春香とつながったのは美沙希が先なので反論できない。

「それに私の方が春香を成長させることができる」

「美沙希先輩。腹に一いち物もつありませんか?」

「あなたは胸に一物ありそうね。ところで、どう? ライバルと戦う気持ちは」

 腹の一物を隠そうともしない美沙希が口元を綻ほころばせた。

「いきなりのことで何も整理できてませんよ」

 口を尖らせながらも、明奏里は正直に答えた。緊迫した口調だったが、美沙希は無警戒に後頭部を見せている。無意味な衝動だが写真立ての脇にある花瓶で殴ってみたくなる。

「でも本当に先輩が先に居るなんて」

 改めて明奏里が口にしたとき、部室に近づいてくる足音が聞こえてきた。校舎から延びるこの廊下の先にはここしかないので、おそらく春香だろう。足音が複数なので後輩たちも一緒だろうか。

 不可思議荘は十畳ほどのリヴィングとその奥に物置代わりの小部屋の二部屋で構成されている。正式な名前は他にあるらしいが、明奏里は知らないし興味もない。おそらく美沙希も知らないだろう。昭和の終わりに不可思議部の部室になり、そのまま不可思議荘と呼ばれ続けているらしい。

 学院にはこういったおしゃれな部室が七つ点在していて、それぞれ○○荘や××館と愛称がついている。

 玄関の扉を開ける音がする。

「名探偵のお出ましね」

 観音開きの扉を開け入ってきたのは春香を始めとする三人。いずれも不可思議部の部員たちだ。

 先頭は部の中心人物でもある大だい行ぎよう司じ春香。長い黒髪を背中まで垂らしている。艶やかで光の反射具合で、うっすら緑や紫がかったりする。春香の髪を初めて見たとき、烏からすの濡ぬれ羽ば色いろという意味を初めて実感したくらいだ。髪の主張と比べると、目鼻立ちは整っているが控えめだ。背も中くらいでボディラインも平凡。何かと主張が強い美沙希とは対照的だ。もちろんさらに平凡で家柄も含めて学院のモブにすぎない明奏里に比べればはるかに印象的な容姿だが。しいて云えばピンクの唇からこぼれる真っ白な八や重え歯ばだろうか。いつしか明奏里は黒髪より八重歯に先に目が行くようになっていたからだ。

 ただそんな春香の姿は、いまや学院のほとんどの生徒や教師が知っている。いや学内のみならず、左京区と北区で名を轟とどろかせている名探偵なのだ。本人が謙虚なので洛中までは広まっていないが、その気になればすぐに御所周りまで知れ渡ることになるだろう。

 もともと不可思議部は一昨年まではパワースポットや心霊オカルト系といった超常現象好きが集まるクラブだった。平成初期にはこっくりさんで集団ひきつけを起こす事故もあったらしい。

 それが大行司春香という名探偵の登場で一変した。彼女が一年の十月に起きた生徒の転落死事件を見事に解決したのがきっかけだった。それは大行司春香最初の事件として、明奏里たちの心に深く刻まれている。

 それまでも春香は身の回りに起きた不思議な出来事にたびたび理屈をつけて解明していた。もともと不思議好きが昂じて入ってきた部員たちだけに、不思議に水を差す春香の行動は興醒めだと批判する先輩も多かった。

 かくいう春香も本質的には不思議好きなのだが、世の中の不思議の九十九パーセントは知性で解明できるもので、残り一パーセントの本当に解明できない不思議こそが本物の不思議であり、彼女はそれに恋い焦がれているらしい。

 春香と同じ新入生だった明奏里も不思議が好きで入ったので、当初は先輩方と同様に距離を置いていた。

 しかし十月の事件がすべてを変えた。春香の名前は学院内に轟き、彼女は明奏里の憧れの存在になった。

 そして今や、この岩屋明奏里が、大行司春香のワトソン役なのだ。学院のモブの唯一の誇り。そして優秀な姉と比較され常に劣等感を抱かされてきた明奏里の唯一の癒やし。

「少し埃っぽいです。一週間でここまで変わるんですね」

 二年の今いま山やま花か奈なが手で口を覆う。つい先ほども口にしていた台詞せりふだ。花奈は前も後ろもばっさり真横に切った髪型で、日焼けなど知らないような色白ですべすべした顔に大きなレンズのメガネをかけている。メガネに拡大された瞳はいつも伏し目がちで、今日はひときわ伏し目がちだった。しかし図書室での読書が似合いそうな外見と異なり、運動神経がよくスポーツも得意だ。中学の部活ではソフトボールのショートを守っていたらしい。それで日焼けを感じさせないのだからうらやましい限りだ。

 そして新入部員の大おお鶴つる真ま結ゆ。小柄で髪も輪郭も目鼻もくりくりと丸い小動物のような幼い顔つき。三月まで中学生だったのだが、小学生だったといわれても信じられそうな子供体型。知り合って間もないので、声が大きいことと花奈の中学の後輩なこと以外、まだ知らない。

 不可思議部にはあと四人の部員がいるが、姿はない。学科によってテスト明けに補習授業があったりするので、そのせいだろう。

「美沙希先輩」

 春香は窓際に向かって軽くお辞儀した。

「よっ」と美沙希が右手で軽く返す。何度も繰り返していただろう光景。

 明奏里も春香にニコと微笑む。

「その方は?」

 怪訝そうに真結が尋ねると、

「美沙希先輩。私の大恩人なの」

「面と向かって云われると恥ずかしいね」

 美沙希が珍しく照れている。こんな顔もできるんだと明奏里は驚いた。

「先輩でも照れるんですね」

 明奏里が茶化すと、

「当たり前。今更噓をついても仕方ないでしょ」

 美沙希なら今更でも噓をつきそうだ。京女は墓まで持って行く秘密が山ほどあるというし。とはいえ今まで嫉妬というフィルターを通してしか美沙希を見てこなかったんだと、改めて思った。

「大鶴さんは初めてよね。この部室に来るのは」

「はい。こんなおしゃれな部室だったんですね」

 高く大きな声で真結が返事をする。物珍しさで、部屋中をきょろきょろ眺めている。彼女は六月に起きたとある殺人事件に巻き込まれていたのを、みかねた花奈が春香に仲介したのだ。そして彼女の推理によって無事助けられた。それから春香の熱烈な信奉者になり、不可思議部への入部を即断した。それまではマンドリン部に所属していたらしい。

 春香が美沙希を恩人と呼ぶのは歴とした理由がある。十月の事件のとき、春香の背中を強く押したのが美沙希だった。春香は自分の素晴らしい能力を自覚していなかった。日常に潜む不思議と違い殺人事件ともなればためらうのも当然だろう。あのとき美沙希がいなければ春香は探偵にならなかったかもしれない。

 春香が名探偵としての第一歩を踏み出したのは美沙希の功績だ。そこは変えられない。

「でもどうしてここは封鎖されているんですか?」

 真結の視線は部屋の奥のドアに向けられていた。十字の桟に鏡板がはめられた白いドアのノブには立入禁止の札が掛けられている。

「開かずの扉だから」花奈が口を開く。「一年前に事件が起きて、それ以来」

 続いて春香が、

「一年前に起きた殺人事件を解決しないと。この札は下ろせないの」

 堅い口調で春香が呟つぶやく。この一年、何度も繰り返された決意だ。繰り返すたび日にちが経つたび、強くなる悲壮感にこちらも辛つらくなる。春香はまっすぐな目でドアを見ながら、

「そして私も前に進めない」

「一年前の事件……。大行司先輩がまだ解決できていないんですか!」

 びっくりして春香の顔を見る。つい先日、鮮やかな推理で窮地を救ってもらった彼女としては信じられないのだろう。

「大行司先輩の唯一未解決の事件なの」

 言葉に詰まる春香に代わり花奈が説明する。

「先輩ですら解決できない密室殺人事件」

「密室殺人事件?」

「このドアの向こうで起きた辛い殺人事件」

「ホント辛い事件だった」美沙希は白々しく呟いたあと、「ねえ」と明奏里に同意を求めてくる。明奏里はドアを見つめながら静かに同意した。あのドアの向こうに秘められた謎。一年間、大行司春香を縛り付けている謎。

「大鶴はまだ知らなかったんだ。学院で噂になったから一年生でも知っているかと思ってた」

 伏し目がちなまま花奈が続けて説明する。自分の役割だと感じているのだろう。

「一年前に、殺人事件があったの。奥の小部屋で不可思議部の部員が殺されていた。殺されたのがそこの桝ます田だ部長」

 花奈の視線は窓際に置かれた小さな写真立ての遺影に注がれている。遺影といっても本格的なものではなく部内で撮ったスナップ写真だ。水色のセーラー服姿で、屈託ない笑顔でピースをしている。半月後に襲いかかる悲劇など知るはずもなく。

「この人が殺されたんですか」

 目の前にあるのがまさか死者の写真とは思っていなかったのだろう。真結はしばらく口をぽかんと開けて驚いていたが、

「そういえば前に小耳に挟んだ〝部長事件〟ってこのことだったんですか。てっきり部内のちょっとしたトラブルかと」

「学内のことだから、みんな慮おもんぱかってソフトな表現を使っているみたいね。実際は未解決の殺人事件。しかも被害者は不可思議部の部長で現場はお膝元の不可思議荘。私は新入生だったから三ヶ月ほどだったけど、桝田部長にはよくしてもらってた。ちょうど今日と同じ、期末テストが終わった翌日の放課後だった」

「それで犯人は?」

「まだ捕まっていない」口惜しそうに春香が語る。「いえ、捕まえられていない」

「大行司先輩がいてもですか! そんなに難しい事件なんですか」

 よほど信じられないのか再び驚きの声を上げる。

「密室がね……。どうしても解けなくて。それがすべての推理の道を閉ざしているの」

 まるでワトソン役のように花奈が説明する。お株を奪う態度に明奏里は少し嫉妬した。そんな明奏里の態度にくすと微笑みながら、美沙希が耳元で囁きかける。

「春香が未だに解けないなんて、どれだけヤバい犯人だったんだか」

「そのせいで春香はずっと落ち込んで。本当に憎いです」

 美沙希の漆黒の瞳を睨にらみつけながら、明奏里が小声で絞り出した。

「小部屋は見たように開かずの扉となっている。でも鍵が掛かっているわけじゃない。入ろうと思えば誰でもいつでも入れるんだけど。月命日のときだけ入ることになっている」

 そう指示したのは明奏里だ。事件直後の春香は悲嘆に暮れ、放課後はずっと血なまぐささが残る現場に入り浸り謎を解こうとした。他は何も手につかない様子で肌は荒れ、瞳は陰り、濡ぬれ烏がらすの髪も艶が失われつつあった。何より声から生気が消えていた。ひと月も続くと心身が危うくなってきたのが判ったので、明奏里が月命日に限って解くように説得したのだ。

 それが奏功したのか、いまは以前の春香に戻りつつある。とはいえ先月の月命日も放課後にひとり籠もって必死で密室の謎を解こうとした。だが日が暮れ始めて、明奏里が声を掛けてようやく出てきた。ここ一年と同じように絶望を目にしたような暗い表情で。

 何度も目にし、何度も心が締め付けられる辛つらい姿。

「春香なら、いつか解けるはずだから」

 そのたびに何の慰めにもならない言葉を口にすることしか明奏里にはできなかった。

「それで密室というのはどんなのですか?」

「奥の小部屋で桝田部長がナイフで刺されて殺されていたんだけど、そのときこのドアに内側から閂かんぬきが掛かっていたの。このドアは鍵穴がなく外から施錠できないけど、内側からは小さな閂で封鎖することができる。私もその場に居合わせたけど、閂が掛かっていることに気づいた大行司先輩と岩屋先輩が、不穏を察してバールでドアをこじ開けたの。私も一緒に手伝ったけど。そこには桝田部長がドアの方に頭を向けて横向きに倒れていた」

 明奏里は下腹部から血を流し白い床に倒れている姿をこれまで何度も夢に見た。もちろん春香を悩ませる密室のことも。どうやって閂は掛けられたのか?

「殺されて一時間と経っていなかった。ナイフが突き刺さった下腹部から流れ出た血は真っ赤で毒々しくて……今まで体内にあった生命がすべて流れでたかのよう」

 徐々に蒼あおざめてきた春香が声を絞り出す。月命日の推理の直前にはいつもこうなる。この状態で三時間ほど春香は小部屋に籠もる。その間、明奏里はこの部屋でただただ待つだけ。力になれることは何一つない。歯がゆかった。

「桝田部長はテストが終わった後、部室に来たみたい。いつ頃来たのかは解っていないけど、学内で最後に目撃されたのは午後二時のことだった。そして発見されたのが四時。カバンはそこのソファーに残されていた。ナイフで下腹部を深々と一刺し。ナイフはこの部室に常備されていた果物ナイフで、指紋は残されていなかった。桝田部長は最初部屋の中ほどで刺されたみたいだけど、助けを求めようとしたのか戸口まで這い寄ったところで息絶えていた。小部屋には窓や換気扇もなければ床下や天井裏へ続く点検口などもなく、出入り口は完全にこのドア一つだった。不可思議荘の玄関の鍵は開いていたので、桝田部長が部室に迎え入れれば部外者でも犯行が可能だった。もちろん現場に不審な指紋は何一つ残されていなかった」

「でも」と真結が口を挟む。「閂だけなら簡単に細工できそうですけど」

 真結は明らかに中を覗のぞきたがっている。しかし春香は扉を開けようとはしない。真結にはまだ早すぎるからだ。

 床には消しきれない血痕が凶まが々まがしく残っている。あえて春香が残したのだ。春香はドアを開けた際に壊した閂を正確に修繕し、小部屋に一年前の死の情景を閉じ込めている。部屋に籠もって推理をして真相を見つけ出すために。教師も含め、誰も春香に異を唱えられなかった。

 真結が入部のきっかけとなった殺人事件でも、真結は実際の現場を見ていない。明奏里や花奈たちと違ってまだ耳年増な状態。たとえ小部屋を見せるとしても今日の月命日のお籠もりが終わったあとだろう。

「このドアは厚く、外に張り出しているので、糸を操作する隙間がない。紐を通して開けることも磁石で開けることもできなかった。あまりに単純すぎて、逆にとっかかりはなかった」

「じゃあ、部長さんが内側から自分で……」

 とそこまで云いかけて、真結は思わず口をつぐむ。そんな簡単なトリックなら、とっくに春香が解決していることに気づいたのだろう。

「ダイイングメッセージを残すために、犯人が戻ってこられないよう内側から閂を掛けたとも考えたけど……」

「違うんですか?」と真結が率直に尋ねる。

「メッセージを残そうとした様子がないの。ダイイングメッセージを残すならせめて血が染み出たお腹に指を持っていくし、もし閂を掛けた時点で力尽きたのなら腕は扉に向いているはず。でも遺体の両手は胸の前で組まれていた。棺ひつぎに入るかのように。死に顔がとても穏やかだった。死を悟って諦めたのかもしれないけど」

 頭の中で何度もループしただろう可能性を春香は嚙みしめる。

「自殺ということは?」

「それならナイフの柄に指紋が残っているはずだけど、なにもなかった」

「そんな……先輩ですら解けないなんて」

「私はみんなが賞賛するほどの名探偵じゃないってこと」

 悔しそうに自らの失敗談を語る名探偵。どんなに辛いだろう。彼女はこの一年、苛さいなまれてきたのだ。それを近くで目にしていた明奏里も同様だ。太陽が翳かげるのを止められない。指をくわえて眺めているだけ。

 すべては美沙希先輩のせい。……明奏里は知っている。その謎を作ったのが目の前にいる美沙希だということを。とぼけた笑みを浮かべている春香の恩人が今は春香を苦しめているということを。

 凡人の明奏里の頭脳ではどのようにして密室が作られたのかなんて判らない。ワトソン役を任じていても、苦悩する探偵の力になれないのが悔しかった。

 せっかく代替わりしたのに。

「でも明奏里が励ましてくれたおかげで、なんだか光明が見いだせそうな気がするの」

 春香は弱々しく微笑むと、

「それでは私は中に入ります」

 一転、強ばった表情で小部屋のドアノブに手を掛ける。

 月命日のお籠もりが始まろうとしていた。





 明奏里が春香に救われたのは一年生のときのことだった。大行司春香最初の事件である。

 十月上旬のある土曜日の早朝、明奏里の親友の吉よし竹たけ美み浪なみの転落死体が発見された。前夜の降雨で濡れた、町外れの八や瀬せ城じよう址し公園の芝地に仰向けで倒れていた。

 発見者は公園の管理を委託されたシルバー人材センターの老人で、時刻は午前六時十五分。秋分が過ぎ、周囲に人家もないため、公園はまだ薄暗かった。被害者は既に事切れ、夜に降った雨に打たれて冷え切っていたという。

 死亡推定時刻は前夜の午後十時から十二時とのこと。死因は転落による頸部骨折。芝地の前には四階建ての展望塔が建っていた。

 かつて公園の場所には八瀬城という名の城があった。応仁の乱や戦国期の戦いにも名がでている。ただ城といっても少人数が詰める小さな砦のようなものだったらしい。城しろ址あと自体は原形をとどめていないが、遺構を元に歴史公園として整備されたとき、本丸跡に四階建ての展望塔が建てられた。

 展望塔は白色に塗装されたコンクリート製で、一階に小さな展示室がある他は、四階部分の吹き抜けの展望台まで階段が折れ上がっているだけのシンプルな造りだった。

 正面に比叡山が聳そびえており、比叡山と麓の村落を眺めるための塔だった。塔自体に特に名称はなく、八瀬公園の塔と呼ばれていた。

 その展望台から美浪は転落死したらしい。展望台には閉じた傘が手すりに掛けられ、雨ざらしになったバッグが床に転がっていた。家族の証言でどちらも美浪のものと判った。バッグの中には財布やカード類が入っていたが、物色された形跡はなかった。

 落下の衝撃で美浪は後頭部から血を流したようだが、夜に降った雨で流されたため、発見時芝に血痕はほぼ残っていなかった。また転落時に生じたと思われるもの以外、目立った外傷もない。

 また公園に入ってすぐのところに、美浪の自転車が停められていた。自転車の鍵はバッグに入っていた。状況的には事故にも自殺にも見られるが、一つだけ奇異なところがあった。

 頭部の両脇に被害者の長靴が並べられ、左右それぞれに髪が差し込まれていたのだ。まるで枕花のごとく枕元に花を一組生けるように。

 生前の美浪は両肩まで三つ編みを垂らしていたが、その黒髪が根元から雑に切り取られ、長靴に生けられていた。髪に土と血液が付着していたので、転落後に切り取られたと考えられている。髪を切り取ったカッターナイフは工作用の小ぶりなもので、展望塔の一階にある展示室に置かれていたものだ。発見時は遺体の脇に捨てられていた。

 展示室は施錠されていたが、犯人は窓ガラスの一部を石で割りクレセント錠を開けて侵入したらしい。塔は一階のドアと窓の並びだけ照明が夜通しついているが、どちらも階段脇の通路に向いているので割って侵入するところを目撃される心配はない。カッターナイフはいつも窓際の机の上に放置されていた。窓から差し込む照明で犯人が気づいたのかもしれない。

 髪以外は被害者の着衣に乱れた様子はなく、また密な芝地のため足跡のたぐいも残されていなかった。

 事件当夜の美浪は、放課後に家に戻って家族と食事をしたあと密かに家を抜け出したらしい。入浴を終え自室に戻った九時以降、家族も姿を目にしていない。隣の部屋には弟が居たが、抜け出したことに気づかなかったという。

 美浪の家から現場の公園までは自転車で十五分ほどだが、公園の一筋手前までは比較的交通量が多いので特に不審がられなかったようだ。周辺は大学生が多く、地下鉄の駅も近いので自転車移動はそう珍しくない。事件後目撃者が何人か現れたが、それが被害者本人だったかの確証はない。

 なぜ美浪が公園に向かったのかは不明だが、九時三十分過ぎに携帯電話を二ヶ所にかけている。一人は当時二年の名な本もと沙さ織おり。そしてもう一人は、岩屋明奏里にだった。

 あの夜のことを明奏里はよく覚えている。月曜に提出の英語のレポートに四苦八苦していたとき、かかってきたのだ。

 明奏里がスマホを取ると、美浪は「あ、ごめん。間違えた」と答えた。ただ、彼女の声が切迫していたので、

「どうしたの美浪?」

 思わず明奏里が尋ねると、

「実は……」一瞬美浪は何かを語りそうになったが、すぐに、「なんでもない……ありがとう明奏里」

 ぷつっと切れた。こちらからリダイヤルしても出ない。メッセージを送っても未読のまま。

 もしかするとあのとき既に公園にいたのかもしれない。あとから思うと、風雨の音が聞こえていた。

 この夜、九時半前に降り始めた小雨は、朝の四時前までしとしとと降り続いた。雨脚は弱く、野ざらしの美浪の身体に豪雨がうちつけ続けなかったのが不幸中の幸いだった。

 最後の美浪の言葉があまりに寂しかったので、一報を聞いた当初は自殺と思ったくらいだ。あの展望塔は美浪の好きな場所で、明奏里も誘われて何度も上ったことがある。新緑の季節が特に美浪のお気に入りだった。腰の高さの手すりから身をのりだし、雄大で青々とした比叡山を眺める。

 美浪は母親とその内縁の妻の三人家族だった。傍目には不自然な家庭だったが、箱入り娘で育てられた彼女は中学に行くまで家族の不自然さに気づいていなかった。口さがないクラスメイトに指摘され初めて知ったようだ。落ち込んだときはいつも展望台に来ては気持ちを慰めたとか。母親がよく連れてきてくれた場所だったらしい。そのクラスメイトものちに謝罪して中学生活はまもなく平穏を取り戻したが、展望台はそのあとも大事な場所のままだった。受験や人間関係に悩んだときにここで心を落ち着かせていた。

 そんな場所から電話をかけてきたのだ。

 そして自殺の理由……明奏里には原因に心当たりがあった。一分後にかけた名本沙織だ。美浪は沙織にかけようとして間違えて自分にかけたのかもしれない。

 沙織の話では、美浪から電話がかかってきたが少し話をして終わったらしい。通話はほんの一分。

 電話を受けたとき、沙織はクラスメイト二人とカラオケボックスにいたという。二人は当該時刻に沙織が電話に出たことを記憶している。すぐ部屋の外に出たので会話の内容は聞いていないが、一分ほどで戻ってきた。ボックスを出る瞬間、渋い表情で舌打ちしていたらしいが。

 沙織と美浪は交際していた。入学早々美浪に相談されたので覚えている。同じコーラス部の先輩の沙織に告白したいと。当時沙織には別の彼女がいたが、うまくいっていないという話を聞いていたらしい。

 一足先に成長した親友に寂しさを覚えながら明奏里は背中を押したのだが、それもあの展望台でのことだった。告白が成功したと報告されたときの嬉しそうな顔は忘れられない。

 しかし秋分が過ぎ、夜が昼より長くなり始めた頃から美浪の顔が徐々に曇っていった。沙織とうまくいっていないのだろうか……嫌な予感がしたが、何も相談してこないので訊ききづらかった。強引に訊けばよかったのかもしれないが、親友に嫌われてしまうのが恐かった。

 そしてこの事件。

 美浪は相手を思いやるタイプで友人とトラブルを起こしたり恨みを買うような人間ではない。なので沙織との関係がこじれたくらいしか原因が思い当たらなかった。

 しかし事態は思わぬ方向に進んだ。

 沙織のアリバイが立証されたのだ。

 死亡推定時刻の十時から十二時の間も、沙織はクラスメイト二人と北山駅近くのカラオケボックスにいた。三人は八時から深夜の二時までぶっ通しで騒いでいたという。カラオケボックスから公園までは自転車で三十分あまり。車でも片道十分はかかる場所だ。しかし沙織はトイレや電話で数分ずつしかボックスから出ていない。それは同席した二人だけでなく、カラオケボックスの監視カメラからも証明された。

 一番の容疑者に鉄壁のアリバイがある。では、誰が美浪を突き落としたのか?

 そこで捜査の手は二つに分かれたようだ。一つは変質者。長靴に三つ編みの髪が生けられた理由は不明だが、異常さが感じられる。髪への執着とか、スピリチュアルな儀式だとか。ただ被害者に乱暴された形跡がないため、単純な性犯罪の線は薄そうだった。

 また事件の半月前に、数キロ離れた北きた白しら川かわの交通事故現場に設けられた花立から仏花が抜き取られ代わりに稲いな穂ほが差し込まれるというイタズラが起きており、それとの関連性も考えられた。

 もう一つは美浪が最後から二番目に電話をかけた明奏里だ。

 もちろん明奏里には美浪を殺す動機はない。ただ小学校からの親友で、事件の直前に電話を受けただけ。

 ただ明奏里にはアリバイがなかった。電話を受けたのち、部屋でしばらく課題のレポートをまとめたあと、そのまま寝てしまったのだ。朝まで家族と顔を合わせていない。公園まで自転車で十分。こっそり家を抜け出して向かうことは可能だ。

 もう一つ微妙な問題は明奏里の父親が警察関係者だったことだ。娘が殺人事件の容疑者となれば当然だろう。

 父が京都府警の幹部なのは知られていたので、権力を行使して娘の犯行をもみ消そうとしているのではないかと学内で噂され、針の筵むしろだった。沙織が自分への矛先を逸らすために吹聴しているとも聞いた。

 沙織によると、明奏里が美浪に横恋慕してなびかないので殺してしまったとか。ばかばかしいが恋人を殺された者の発言とあれば、信じる生徒も出てくる。もちろん身近なクラスメイトはみな明奏里を信じてると云ってくれていたが。

 ただでさえできの悪い娘が、父親に迷惑をかけている。もちろん家族が面と向かってそんな非難をするはずもないが、事件後不機嫌なことが多い父や、本当に大丈夫よねと念押ししてくる母を見ると、自分を苛まずにはいられない。自分自身で身の証あかしを立てたいが、そんなことできるはずもない。勉強もスポーツも習い事も、いつも姉と比べられて、おまえには無理だと云われ続けた身だ。

 そんなある日、明奏里は美浪と交わした会話を思い出した。事件の少し前から美浪の腹が膨らみ始めていたのだが、「食べ過ぎで太って」と言葉を濁すように云い訳していた。しかし美浪は昔から羨ましいほどの太らない体質だった。なんなら明奏里より食事の量が多く平気で間食もしていたが、カロリーがどこに消えたのか疑うほど瘦せていた。急に体質が変わったとは思えない。しかも膨らんだのは前側だけ。ウエストはくびれたまま。

 そのときは恋愛のストレスかと深く詮索しなかったのだが、もしかして妊娠していたのかも……事件から一ひと月つき経ってようやくその事実に思い至った。美浪が落ち込んでいたときは沙織に振られたと思い込んでいたが、もし美浪に男ができて意図せぬ妊娠で悩んでいたとしたら。そしてもし美浪が流産していたら。それで警察が気づかなかったのかも。

 そのときはもう一人、強力な動機を持つ人物が登場することになる。

 しかし相手は一体誰なのだろう。美浪の平日は学校と家との往復で、休日もバイトはしていないし、友達と繁華街に遊びに行くタイプでもない。沙織とデートした話はしてくれたが、男の影があるようには見えなかった。夏休みもクラブで忙しかったし、そもそも知り合う接点がないように思える。

 宝ヶ池学院の先生だろうか? コーラス部の顧問は女性だが、副顧問は若い男性教師だった。もし生徒を妊娠させたとなれば、すべてを失うことになるだろう。

 この新事実を告げるべきか。それなら自分への嫌疑は薄まるだろう。しかし高一で妊娠していたと、彼女がいながら別の男と妊娠する淫乱だと、死んだあとに親友を貶おとしめるようなことができるのか。そもそも荼だ毘びに付された今、周囲が信じてくれるかも判らない。保身のために噓を重ねる恥知らずだと蔑まれるだけかも。

 相手も副顧問とは限らない。男性教師は他にもいる。明奏里が苦しんでいる今も、美浪とお腹の子を殺した犯人はのうのうと暮らしている。

 何もできない自分が悔しかった。





 そんな八方塞がりなある日、昏くらい気持ちのまま不可思議荘に向かった。この状況でどうして部室に顔を出そうとしたのか自分でも解らない。それ自体が不思議な縁だったのかもしれない。

「大丈夫。岩屋さん」

 真っ白なリヴィングで心配そうに声をかけてきたのが春香だった。部室には春香と美沙希の二人がいるだけだった。春香とは同じ一年だがそこまで仲良くはなかった。理由は簡単で、春香が不可思議部で浮いていたからだ。多くの先輩方から距離を置かれている春香にあえて話しかけようとする勇気は明奏里にはなかった。

 あとで知ったのだが向こうは友達として見てくれていたようだ。

「だって、明奏里は私の説明を聞いて感激してくれたでしょ」

 恥ずかしそうに春香は打ち明けてくれた。夏休み前に学院の七不思議の一つ、瞬間移動する最澄像の謎を見事に解き明かしたときのことだ。鼻はな白じろむ先輩方が多い中、そんな周囲の空気も忘れて明奏里は感嘆の声を上げていた。本当にすごいと思ったのだ。

 すぐに自らに向けられた視線に気づいて黙り込んでしまったが。どうやら春香の記憶に鮮明に残っていたらしい。

 尋ねられた意味も解らず、「うん」と戸惑いながら頷いた明奏里に対し、

「春香。話すことがあるんでしょ」

 背後から叱咤する美沙希の声。

「美沙希先輩」

 春香は不安げに美沙希を振り返る。

「大丈夫だって。春香ならできる。私が保証するから。岩屋を助けたいんでしょ」

「どういうこと、大行司さん。私を助けるって?」

「友達が困っているのを黙って見ていられない。だからこの事件を解決したい」

 両手で私の手を握りしめて春香は云った。強い瞳の輝きと共に。その手はとても温かく柔らかかった。

「その調子。不都合が起きたら私が責任とるから」

 美沙希の家が京都の政財界に影響を持ち、親戚に国会議員がいたのを思い出す。責任をとるというのは、裏の力で尻ぬぐいすることだろうか。

「そういうこと。春香の推理力はあなたも知っているでしょ。だから協力したいって。それとも友達が差し伸べた救いの手を断るつもり?」

 強い口調で決断を促してくる。考えてみれば美沙希は明奏里のことより春香の探偵デビューを目論んでいただけかもしれない。

「それで岩屋。あなたお父さんから事件の詳細を少しは聞いているでしょ。それを春香に教えてあげてくれない」

 藁わらにもすがる思いで話してみることにした。美沙希はともかく、春香の言葉や表情に偽りが隠されているとは思えなかったからだ。それに話したところで今の状況より悪くなることもない。

 もとより明奏里もすべてを知っているわけではないが事件の当事者として、できるだけ詳細に話した。美浪が妊娠していた可能性もつけ加えて。

 春香は耳を傾けていたが、

「やっぱり、詳しい情報があると推理の精度が上がる気がします」

 口の端を綻ばせながら美沙希を見た。表情や口調には自信が感じられる。七不思議を解いたときのような。彼女は再び黙り込んだあと、しばらく頭を整理していた。その間、十分なのか二十分なのか解らない。誰も言葉を発せず、静かな室内に静かな時間だけが流れていた。やがて春香は顔を上げると、

「傘を閉じて手すりに掛けてあったのが気になります」

「どういうこと?」

 腰に手を当て、美沙希が尋ねる。

「吉竹さんが殺された時間は既に雨が降っていたはずです。犯人と面識があって会話したとしても、見知らぬ犯人に突き落とされたとしても、雨ざらしの展望台で傘を閉じていたとは思えません」

「犯人に追いかけられて階段を駆け上がるときに邪魔だから傘を閉じていたのかも」

「そうかもしれません。でも犯人に追いかけられて展望台で襲われたのなら、手にした傘で少しは抵抗するでしょう。せっかくの武器を手すりに掛けて素手で対抗するのは訝おかしくないですか。はるかに不利です。彼女には争ったような外傷もないようですし」

「彼女を突き落としたあと、気になった犯人が閉じたとか。ほら、風で舞って人目がつくところまで落ちると発見が早まるし」

 すぐさま美沙希が代案を出す。春香だけでなく美沙希も頭の回転が速そうだ。間髪入れず交わされるやりとりを明奏里は黙って見守っていくだけ。

「それなら床に放置しておけばいいだけです。わざわざ手すりに掛ける方がはるかに目立ちます。殺害後わざわざ窓を割ってカッターナイフを盗み出し髪を切って長靴に生けるような犯行を見せびらかしたい犯人が、傘だけ閉じるというのもはるかに不自然です」

「なるほどねぇ」

 あごに手を当てて納得する美沙希。どこか満足げで、事件の深刻さが感じられない気もした。

「そもそもこの犯行にははるかに訝おかしなところがあります」

「そりゃあ、髪を切って長靴に入れるんだからまともじゃないわね。邪教徒の仕し業わざかも」

 美沙希が常識人風に云うと、

「違います」ぴしゃりと否定する。温厚な口調の彼女にしては珍しくクールな言葉だった。「この事件が見た目の異常性だけなら、そういう異常な犯人だからと合理的に説明がつきます。たとえ邪教徒であっても」

 つくんだ……明奏里は内心で呟いていた。

「問題は思想や信条とは関係がないところで、どうして窓を割ってまでカッターナイフを盗んだのかということです。いくら人ひと気けがないといってもガラスの音を誰かに聞き咎とがめられるかもしれないのに。最初から異常な儀式を行うつもりなら、なぜ犯人は予あらかじめカッターナイフなりハサミなりを携帯していなかったのか」

「たしかに。わざわざ窓を割るより手っ取り早いものね。でも」と、美沙希が喰い下がる。「自分の刃物を使うより展示室のカッターナイフを使った方が証拠が残らないとか」

「髪を切るくらいで持ち主の証拠が残りますか。音を立てて窓を割る方がはるかにリスキーです」

 名前が春香なせいなのか、よく〝はるか〟と使う。

「だったら、もし犯行後に職務質問されてハサミを見つけられたらと考えて、あえて展示室のカッターナイフを使ったとか」

「それは使っても使わなくても同じでしょう。ハサミを持っていた時点で疑われます」

「たまたま夜道を公園に行く吉竹さんを見て、いきなり犯行の衝動が起きたとか。放火魔が今日は放火する予定はなかったのに思わず放火したくなってライターを探し回るみたいに。だからハサミを持っていなかった」

 すべての分岐を否定させるかのように、美沙希は矢継ぎ早に反論する。

「おもしろいですけど、岩屋さんが電話を受けたのが九時三十分で死亡推定時刻が十時以降なので少なくとも三十分が経っています。岩屋さんが電話を受けたとき風雨の音が聞こえたので既に展望台にいた可能性が高いでしょう。そうなると犯人は吉竹さんが公園に向かうのを見て犯行の衝動が起こったにしては時間がかかりすぎています」

「たまたま公園に行ったら、展望台にいる吉竹さんを見つけたとか」

「雨の中、人ひと気けのない公園に目的もなく? それに展示室はともかく、展望台に照明はありませんから、月明かりのない中で遠くから彼女の姿をたまたま見つけるのは無理でしょう。また一階にいるところを見られて追いかけられたとしたら、最初に云ったように展望台の手すりに傘を掛けているのが不自然です」

「じゃあ、どうしてなの?」

 しびれを切らした声で美沙希が尋ねる。

「それは」

 春香はあえて間を措き注目を集める探偵仕草をすると、

「その場で髪を切る必要が生じたからです」

「髪を切る理由? 何かの見立てなの?」

「もし髪が切ってなかったらどうでしょう。普通に突き落とされ転落死したときとどう違うか。それが現場で髪を切った理由です」

「どうって、特に違いはないと思うけど」

 美沙希が首を捻ひねる。

「そうでしょうか? はるかに違いがあります」

「長靴」

 明奏里は声を上げた。

「その通りです」ずっと美沙希に向けられていた視線が明奏里に移り、春香は満足げな笑みを浮かべた。眩しい笑顔だった。

「もし髪が生けられてなかったら、長靴だけが頭の近くに置かれていたことになります。ではどうして長靴を置いたのか。なぜ足から脱がせたのか」

「いよいよ探偵ぽいね……でも残念だけど私には判らない」

 悲しみより喜びが勝った表情で、美沙希が首を振る。

「あ、あ、」明奏里は声にならない声を上げていた。いろいろなもの、いろいろな疑念が頭の中で一つの線になりかけていたのだ。

 春香は明奏里の想いを受け止めるように頷くと、

「そう。長靴が別にあった。事故にしろ他殺にしろ転落して長靴が脱げるとは考えられません。長靴は吉竹さんが自ら脱いだ。つまり美浪さんは自殺したのです。傘が閉じられ手すりに掛けられていたのもそのせいです」

 最後に聞いた美浪の声。明奏里の不安、疑念は間違っていなかったのだ。美浪は想い出の地で自殺した。

「おそらく吉竹さんは電話で自殺をほのめかしたのでしょう。公園まで来てくれと迫ったかもしれない。しかし名本さんは相手にしなかった。美浪さんが妊娠して、振られたのは自分だと思っていたでしょうし。何を今更と、舌打ちしたんじゃないでしょうか。とはいえカラオケが終わって家に戻ってから気になり始めた。雨が上がったので未明に公園まで様子を見に行く。すると吉竹さんの自殺死体があった。展望台まで上ると長靴と遺書が残されていた。もちろん朝の発見時と同じように傘やバッグも雨に濡れて残されていた。そこで名本さんは困った。たとえ遺書を持ち去ったとしても、自分と吉竹さんが交際していたことは多くの人に知られている。当然吉竹さんの自殺の原因は名本さんだと世間は糾弾する。彼女に刑法上の罪はありませんが、人道的な問題はあります。しかも岩屋さんが今悩まされているように、この学院はスキャンダルにはるかに敏感です。彼女は慌てたことでしょう」

「つまり、どういうこと?」

 まだ点と線がつながっていない美沙希が尋ねる。

「名本さんは自殺を殺人に見せかけたのです。殺人ならば犯人がいるはずです。しかも雨の状況や電話の時刻などから、彼女にはアリバイが成立します。つまり犯人ではない。自殺なら彼女にも非難の矛先が向くが、殺人ならばすべての矛先は仮想の犯人に向きます」

「そんな……」

 思わず声が出た。春香は聞こえていないかのようにそっと流すと、

「しかしここで問題があった」

「それが長靴かあ」

 ようやく全貌が見えてきたのだろう。美沙希が反応する。

「そうです。吉竹さんは飛び降りる際に長靴を脱いでいた。自殺者の多くがするように。当然、地上の遺体は長靴を履いていない。むき出しの靴下が濡れているだけ。もちろん展望台に置かれっぱなしだった長靴の中も濡れています。今更、何事もなかったかのように長靴を足に履かせてもすぐにばれてしまいます。濡れた長靴と靴下の不自然さをどうやって自然に見せかけるか」

「それがあの髪を生ける儀式か」

「少し前に話題になった稲穂のイタズラを参考にしたのでしょう。長靴を持って展示室の前を通ったときに、カッターナイフが目に入り着想したのかもしれませんが」

 そこで明奏里は大事なことをひとつ思い出した。

「ちょっとまって、それじゃあ、美浪を妊娠させた男は?」

 春香の推理には一番卑劣な男がまったく表に出ていない。

「おそらくそんな人は存在しません。吉竹さんが妊娠と流産をしていたのなら、検死で判明するはずです。そのときは警察も男関係の線を最優先するでしょう。もし岩屋さんが想像するように相手がここの先生なら、学院は刑事の出入りでもっと騒がしくなっていたと思いませんか」

 春香はあっさりと否定した。

「それに名本さんも殺人の偽装という危険なまねをすることもなかった。名本さんがリスクを冒して殺人に見せかけたことが、他に候補者、つまり別の男がいなかったことを証明しています」

「さっきの大行司さんの推理だと、名本さんも自分が裏切られたと思ってたって」

「吉竹さんの妊娠が破局の原因だったのは間違いありません。しかし名本さんは現場で彼女の遺書を読み真実を知ったのでしょう。新しい恋人などいなかったと。おそらく遺書には名本さんとの子供を妊娠したと書かれていたのでは。想像妊娠だったんでしょうね」

 そして名本沙織は陥落した。





 難解な事件をいとも簡単に解決して見せた。明奏里への疑惑は晴れ、再び落ち着いた日常が戻ってきた。美浪がいない日常ではあったが。

 沙織は死体損壊等の罪に問われたが、最終的に起訴猶予となった。ただ学院に戻ることはなかった。沙織も美浪の妊娠を見て裏切られたと思ったようなので、不幸なすれ違いを一方的に責めることもできなかった。

「ありがとう、大行司さん」

「自分でも驚いてる」

 明奏里に向けられた笑顔は眩しかった。自分が助かったことより、この笑顔に遭遇したのが一番だったかもしれない。

 これからも春香の活躍を間近で見ていたい。ずっと見続けていたい。

 幸い明奏里には警察にパイプがある。一生徒に過ぎない春香の推理が捜査本部まで届いたのも、明奏里が父に頼んだからだ。娘が容疑者の一人だった父としても藁にもすがる思いだっただろうが。それでも信用は勝ち得た。父にとって春香は娘の恩人でもあるのだ。これからは話を通しやすいはず。

 名探偵大行司春香のワトソン役になる。明奏里は夢見たが、同時に大それた夢だった。既に美沙希がいたからだ。

「どうして美沙希先輩は後押ししたんですか。もし失敗したら彼女は」

 解決のあと訊いてみたことがある。

「はは。実は私、春香と同じ中学なの。面識はないけど。だから噂は聞いていたし。なによりおもしろそうでしょ」

 先輩が屈託なく笑う。

「おもしろいって、そんなことで春香を巻き込んだんですか」

「巻き込んだんじゃない。春香が先に云ってきたの。岩屋が困っていたから助けたいって。……それにもし失敗しても私が支えるから」

 気の弱い明奏里には無理な台詞だ。失敗しても春香を支える。老舗のパイプで政財界にも顔が利きく美沙希ならそれも可能だろう。

 今の明奏里では彼女のワトソン役になれない。明奏里はきらめく春香の光に憧れ眺めていたいだけ。しかし美沙希は春香の強い光を自分の光で包み込もうとする。力の差は歴然だった。こんなに春香を欲しているのに。

 それからしばらくは、同じ部の友人という立場に甘んじるしかなかった。その間にも美沙希をワトソン役として春香は学内外の事件を解決し続けていた。

 結果、春香と美沙希の名コンビが学院でも知らぬ者はないほどになった。不可思議部も現在のようにミステリ好きのイメージがついてきた。それらを明奏里は指をくわえて見ているしかなかった。

 もし先輩がいなければ……自分も春香のワトソン役になれるのかもしれない。

 ふつふつと湧き上がる想い。でも最初は小さな火種にすぎなかった。

 去年の春に象徴的な事件があった。美沙希の修学旅行中に学内で殺人事件が起きたのだ。好機とばかりに明奏里はワトソン役としてサポートしようとした。

 しかしうまくは運ばなかった。雲を摑むような不可能犯罪で、さすがの春香にもなかなか解決の糸口が見つけられなかった。日が経つにつれくじけそうになる春香。しかし明奏里はうまく励ませなかった。どう声をかければ良かったのか。

 修学旅行から帰ってきた美沙希を目にしたときの春香の表情。

 月は太陽を求める。でも太陽も太陽を求めるのだ。

 耐えられなかった。切なかった。

 美沙希が戻ってからは早かった。美沙希が何気なく呟いたひと言がきっかけで、春香は見事に事件を解決した。

 力の差を見せつけられた。その日からますます春香は美沙希に依存するようになった。先輩も陰かげ日向ひなたに春香を支える。二人は明奏里から見ても理想のホームズとワトソンだった。

 やはり自分では支えられないのだろうか?

 期末テストが終わった日、美沙希に尋ねてみた。卒業しても春香のパートナーでいるのかと。

「当たり前じゃない」

 美沙希はあっさり答えた。

「岩屋は私が卒業したらワトソン役になりたいようだけど、あなたには無理」

 きっぱりと云われた。明奏里の気持ちなんかとっくの昔に見透かされていたようだ。

 あなたには無理……一番聞きたくない言葉だった。心に冷たく突き刺さる刃。

「春香は渡さない」

 春香にふさわしいのは美沙希だと、明奏里自身も感じていたし諦めた気持ちがあった。でも諦めきれない。自分は輝けないし、光を包み込むこともできない。何もかもが無理な人間かもしれない。でも……春香が欲しい!

 明奏里は思わず果物ナイフを振りかざしていた。ナイフは先輩の腹部に刺さる。夏服にじんわりと赤い血が染み出てくる。

 そして明奏里は小部屋から逃げ出した。

 もしかすると最初から殺すつもりだったかもしれない。ハンカチでナイフを握りしめていたからだ。無意識に指紋を残さないようにしていた。

 不思議だったのは、何も知らない春香と恐る恐る不可思議荘に戻ると、現場が密室になっていたことだ。何者かによって小部屋は内側から施錠されていた。

 今なお解けない密室。それが春香を悩ませた。そして明奏里自身をも。





 それが一年前。その先輩が目の前に居る。腹にナイフを突き刺したまま、水色の制服を赤く染めて。

 明奏里の気持ちをどこまで見透かしているのか、余裕のある笑みで美沙希はこちらを見ている。まるで仏にでもなったような悟ったような笑み。

 この人はこの人で一年間苦労してきたのだろう。

「扉が開かない」

 丸いドアノブに手を掛けた春香が緊迫した声を上げる。捻って手前に引こうとするが、何かが邪魔しているのか開かない。カチカチと扉の向こうで閂の金属音が響く。

「まさか……」

 一年前を思い出したのだろう。あのときも扉を引いたのは春香だった。ガチャガチャと力任せに扉を引くが、閂が掛かった扉は当然開かない。

 やがて事態を察した花奈がバールを手渡した。無言で受け取った春香は青ざめた表情で扉をこじ開ける。

 一年前の再現フィルムを見ているかのようだ。一年前、春香にバールを手渡したのは明奏里だったが。

 バールが戸板にめり込む音。閂を止めているネジが弾ける音。いくつかの聴き慣れたBGMのあとようやく開かずの扉が開いた。

 煌こう々こうとした照明の下、戸口に横たわる死体。胸にナイフを突き刺され、夏服が血で赤く染まっていた。

「どうして!」

 悲鳴ともつかない声を上げ、慌てて駆け寄る。

「明奏里! どうしてあなたまで」

 かがみ込んだ春香の洪水のように溢あふれ出た涙が、明奏里の冷えた頰を濡らす。

「美沙希先輩。私、あなたの気持ちが解った気がします」

 泣き崩れる春香の背後で明奏里が静かに呟いた。

「どうして私が殺したあと、先輩は最後の力を振り絞って閂を掛けたのか」

「ようやく解けた?」

 安あん堵どするように美沙希は大きく息を吐いた。

「よかった。秘密って一人で抱えているのは案外大変なのよ。共有したくなるというか、誰かに知って欲しいものなんだなって」

 視線を再び小部屋に戻すと、大きく震える春香の背中を凍り付いた目で見つめている花奈が視界に入った。

 さっき、明奏里を刺し殺した女だ。動機はおそらく明奏里と同じ。明奏里の代わりに春香のワトソン役になりたかったから。この一年、死んだ美沙希に代わって何とか春香を支えてきた。

 ずっと隣にいてほしい。一緒にいてほしい。半月前に春香からそう告白されたばかりだった。ようやく。なのに……。

 しかしどうして密室になったのか。花奈には解らないだろう。明奏里も自分自身で密室を作るまで、理解できなかったのだ。

「最初は私をかばうためにとも考えましたが、先輩がそんなことをするはずありませんし」

「そりゃそうだ」

 今日一番の笑い声を美沙希は上げた。お腹を抱えながら。しかし突き出た刃物がちらちら目に入り、明奏里は笑えなかった。かくいう自分も胸にナイフが突き刺さったままなのだが。

「じゃあどうしてか? 春香の心に残りたかったんですね。事件が解決できない限り、ずっと春香の心に残り続ける」

 春香をつなぎとめていたのは密室の謎。解けない謎。

「人は忘れる生き物だからね。忘れないと前に進めないし。もし密室が解決されたら、想い出に変わるでしょうね。どうせ死ぬんだったら謎のまま残る方がいいでしょ。まあ、そのせいで成仏できずにこの世界に留まることになったけど。でもこれからも春香の事件の解決を見ていることができる。どんなときでも」

「この密室が解決されない限り、ですね」

 明奏里も同意する。

 春香は名探偵だが、私たちのことを知りすぎている。だから私たちが内側から鍵を掛ける合理的な理由に辿り着けない。このままずっと解決しないだろう。何となくそんな気がした。

「でもずっと美沙希先輩と二人きりか。春香とだったらよかったのに」

 口を尖らせる。自分が殺した被害者に向かって云う台詞ではないのは解っている。だが美沙希は怒るふうでもなく、

「それは大丈夫じゃない?」

「えっ?」

「ほら背後の大鶴さんを見てみなさい。私やあなた、そして花奈と同じ目をしている。そのうち花奈さんがこちらに来るんじゃないかな。女三人かしましい。不可思議荘もにぎやかになるかもね」

 美沙希は足を宙に浮かせたまますーとテーブルを横切った。

「でも不可思議荘から出られなかったりするんですか」

「それは大丈夫みたい。先週も新しん京きよう極ごくまで映画を観にいってきたし」

「よかった。これからもずっと春香の活躍を見ていることができるんですね」

 こうなったら切り替えるしかない。

「春香が密室の謎を解くまではたぶんね。でも、目の前に最大級の不思議があるのに、春香に教えてあげられないのが残念」

 九十九パーセントの真実の向こうにある不思議。春香はそれを求めていた。しかし謎を解いた瞬間に、成仏して消滅してしまうのか。なんと皮肉なことだろう。

 春香の悲嘆が止まない部室で、窓際の桝田美沙希の写真が風もないのにパタリと倒れた。


百合小説コレクション wiz 2

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