何人にも解けない殺人ミステリを案出するのが、私の大きな夢だった。
──アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』(青木久惠訳)より
英国ミステリの女王、アガサ・クリスティーの数多あまたある作品のなかでも、一九三九年発表のノンシリーズ長篇『そして誰もいなくなった』は抜群の知名度を誇る。逃げ場のない孤島に集められた十人の男女が、彼らの中にひそむ殺人者の手にかかり、見る見る数を減らしてゆく……いわゆる孤島物の古典的代表作である『そして誰もいなくなった』では、最後はタイトルどおり、島に渡った誰一人生きては戻らない。強烈なサスペンス味と、まだ殺されていない者どもの〝心の声〟を丹念に読み解くことが肝かん腎じんな犯人探しフーダニツトの興味が相あい俟まって、クリスティー入門に最適の書としてオススメされることしばしばの名品だ。
加えて、米国版の原題 And Then There Were None から来る邦題そのものがなんとも魅惑的。豪華ヨットの乗船者が次々と〝退場〟してゆく『そして誰かいなくなった』(ⓒ夏なつ樹き静しず子こ)や、芝居の台本どおりの悲劇が現実に起こってしまう『そして誰もいなくなる』(ⓒ今いま邑むら彩あや)、外部との連絡が遮断された核シェルター内で連続殺人が発生する『そして二人だけになった』(ⓒ森もり博ひろ嗣し)などタイトルを捩もじって下敷きにしたことを宣言した作品は十指に余るほど。さらに、雪に閉ざされたプチホテルで招待主と六人の客全員が殺害される『殺しの双曲線』(ⓒ西にし村むら京きよう太た郎ろう)や、無人島の曰いわくつきの館やかたで合宿を行う大学生男女の中に復ふく讐しゆう者がひそむ『十角館の殺人』(ⓒ綾あや辻つじ行ゆき人と)など、タイトルにはそれと明示されていないものの強い影響下に書かれた作品まで含めると枚挙にいとまがない。もちろん、気鋭の若手ミステリ作家・白しら井い智とも之ゆきが物した『そして誰も死ななかった』(二〇一九年)もまた、歴史と伝統ある〝『そして誰もいなくなった』オマージュ〟の系譜に連なる孤島物の収穫であり、きっと女王クリスティーも雲の上で目を細めている……とは言い切れないんだなあ。
不健全で不道徳、だけれど〈作者対読者〉の知能的ゲームとして不公正なところはいっさいない。そんな物語世界を、二〇一四年の作家デビュー以来一貫して構築し続けているのが平成ひと桁けた生まれの新世代作家、白井智之だ。タイトルからして人を食ったデビュー作『人間の顔は食べづらい』は、第三十四回横よこ溝みぞ正せい史しミステリ大賞の最終候補に残った一本。惜しくも受賞は逃したけれど、選考委員を務めていた有あり栖す川がわ有あり栖す、道みち尾お秀しゆう介すけ両名の熱烈な支持を得て、世に問われることになる。食糧として人間のクローンが育成される近未来を背景にした奇っ怪な推理劇は、一九九〇年代に西にし澤ざわ保やす彦ひこがその可能性を摸も索さくした特殊設定パズラーの流れに棹さおさしつつ、この若い作者独自の〝露悪的エログロ路線〟を開く野心にあふれていた。首切り殺人の珍無類のバリエーション(注文客のクローンは加工施設で首を切り落とされてから出荷される。だって、自分の顔がついた人肉は食べづらいもんね!)であり、クローン人間に対する扱いに人種問題や移民問題といった社会派テーマの反映を見ることもできる問題作だった。白井智之の快進撃は、ここから始まる。
続いて発表された『東京結合人間』(二〇一五年)がまた凄すさまじくユニークだった。その並行世界では哺ほ乳にゆう類るいのうち人間の生殖だけが特異な進化を遂げていて、ひと組のカップルは片方──多くは女性──が相手の肛こう門もんから体内に侵入することで子を生なせるようになる。だが、男女の結合により巨大化した姿は、もはやわれわれの常識では怪物と呼ぶほかない醜さだ。世界設定はエログロを極めても解明のロジックは曇りなくクリーンな異形のパズラーは、権威ある日本推理作家協会賞の候補にも推挙され、斯し界かいの話題をさらった。その後も白井智之は、人の顔をした瘤こぶができる奇病が蔓まん延えんした世界で圧巻の推理合戦を繰り広げる『おやすみ人面瘡』(一六年)、未成年の少女が大量かつ無慈悲に殺されまくる『少女を殺す100の方法』(一八年)、遺伝病家系の青年が誰を強ごう姦かんしたのかが真相究明の決め手となる『お前の彼女は二階で茹で死に』(一八年)と残虐多彩なパズラーを矢継ぎ早に発表し、その才能が本物であることを証明してみせた。もちろん、そんな白井の六作目の単独著書にあたる本作が、登場人物が本当に誰も死なない牧歌的な作品であるわけがないのだ。
デリヘル「たまころがし学園」の雇われ店長・大おお亦また牛うし男おのもとに、とあるパーティへの招待状が届いた。差出人は、ミステリ作家の天あま城き菖蒲あやめ。絶海の無人島・条さなだ島に構えた別荘に、同どう朋ほうたるミステリ作家にぜひ集まってもらいたいという。かつて牛男は、文化人類学者だった父が遺のこした未発表のミステリを自分が書いたと偽って発表したことがあったのだ。牛男を含む五人のミステリ作家は一日半がかりの航海で条島に上陸するも、そこに招待主の姿はない。逃げ場のない孤島に集められた五人の男女は、招待主の名を騙かたって彼らの中にひそむ殺人者の手にかかり、見る見る数を減らしてゆくことに……。
本作の初刊単行本の帯紙には「五人全員が死んだとき、本当の『事件』が始まる」と売り文句が躍っていたくらいだから、孤島に渡った者どもが(本家『そして誰もいなくなった』の渡航者と同様)一人残らず死亡することまではここで明かしてもいいだろう。──だが五人の〝全員死亡〟は、前代未聞のフーダニット小説がついに開幕する準備を終えたことを告げるにすぎない。本作は〈死者が犯人〉パターンの凝こりに凝ったバリエーションであり、多重解決の面白さを追及した点では白井作品の中でも随一といえる。小説本篇よりも先に巻末解説を読まれている向きもあろうから曖昧な物言いをするが──理屈っぽいミステリ作家ばかり右往左往するこの物語において真に名探偵と呼ぶにふさわしい人物が、終盤にあえて披露するトンデモナイ自然の理ことわりを交えた推理がとりわけ振るっている。クリスティーの不朽の名作にひらめきインスピレーシヨンを得た作品群の系譜に、決して読み落とせない異色作が加わった格好だ。
作者の白井は本作を発表後も、すでにこの世にない有名殺人犯が続々と現代に蘇よみがえる『名探偵のはらわた』(二〇二〇年)に、ゲテモノ食いのフルコース・パズラー『ミステリー・オーバードーズ』(二一年)、舞台の港町に異常に装飾された死体がごろごろ転がる『死体の汁を啜すすれ』(二一年)と、ますます筆勢を加速中。とびきり鬼畜インモラルな特殊設定路線は果たしてどこに行き着くものか、若き鬼才の〝猟奇的活躍〟から目が離せない。
付記(※小説本篇を読後に目をとおされますよう)
憐あわれ秋あき山やま晴はる夏かは、いつ一度死んだのだろう? 条島連続殺人事件の真犯人が追及すべきは、むしろそちらのほうなのに。「発端」で描かれる大亦牛男とのベッドシーンで、すでに寄生虫によって生かされている晴夏の体は、ひどく冷えてはいても目立つ傷などはない様子。とすれば、睡眠薬自殺のようなことをした結果の蘇りかもしれない。彼女はなぜかミステリ作家にばかり近づいて性交に及ぶ。それは海外の旅先で父親から無体な性経験を積まされるうち、一度は死を選ぶほど絶望しても──それでもしかし、ミステリ作家でもあった父親の愛の代わりを求めての行動だったろうか。